『「御戒壇説法」について』(その②)

奉安堂においても「御戒壇説法」を二大法要の時だけやります

その時、日寛上人の『法華取要抄文段』のなかの

「この所すなわちこれ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」の部分を

「この所すなわちこれ本門根源事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」と読むことにします

そうすることにより、奉安堂も事の戒壇である可能性が出てくる

しかし、普段からそういうような意味の定義だということではない

1年に2回だけの二大法要の時だけ
そうゆうやりかたにします

この段落は

日顕上人は1年に2回の二大法要の時だけ

「この所すなわちこれ本門根源事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」

としていいよ、と言われているのであって普段から、そういう使い方はダメだよ
と言われています

しかしながら、恐らく今までの経緯からして、みなさんがやっているブログ内では

事の戒壇の根拠は日顕上人が

「この所すなわちこれ本門根源事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」と言われている

と書いているんだと思うけど

日顕上人は「あくまでも年に2回の法要の時だけ、その言い方でOKであって、普段はNGだよ」
と言っていますね

この部分も今後、他のブログをやっている方達に、指摘していこうと思います

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