「創価学会と妙信講への宗門の対応」(その4)(59p)

このなかで『国立戒壇論の誤りについて』を読んでいる人は手をあげてみなさい

一往、四分の一ぐらいの人が読んでいるようだね

では次に『本門事の戒壇の本義』を読んだ人は手を挙げて下さい。

これは、なお少ないようです。

上記の内容は、御遺命の戒壇の部分とは全然関係ないのです,がなぜ取り上げたのかというと

当時の2冊の本は参考資料として使いないのではないか?

との私の質問に対して

〇自身の理解を深めることが出来る

〇活用すれば他の人の目を開かせることが出来る

〇学ぶことが大事

〇学ぶと破折につかえるから

みたいな回答がありますけど

何回もいいますが、上記の内容を見ても分かる通り日蓮正宗としては、2冊の本は全く学んで欲しいというい意図はないですね

寧ろ、2冊の本の内容は

「正本堂の意義付けの為なんだからわかるよね」というのは本書を読めば分かることですよ

だいたい日顕上人が本当に2冊の本を学んで欲しかったら「このなかで読んでる人いますか?」なんて

聞く訳ないじゃないですか

本当に読んで欲しかったら住職の方が四分の一しか手を挙げていない時点で「なにやっているんだ!」って普通怒るでしょ

ましてや、住職の方でさえ読んでる人が四分の一以下だとすると

一般の法華講員は、まず読んでる人いないんじゃないですか?

この段落を読んでも、まだ「2冊の本の拝読をする事が大事」といっている人は

一般的に見てすこしズレているのではないかと思いますが

みなさんはどう思われますか?

だけど不思議と各ブログをやっている方達は、当時の2冊の本をたくさん活用していますが

みなさんが学ぶ為に書かれた本ではないんだよと言いたいです

その2冊は正本堂の意義付け

つまり、正本堂を御遺命の戒壇にしたがっている創価学会の為に書かれた本

正本堂は、ほぼほぼ御遺命の戒壇っぽくしてあげる為の理由付けをする為の本だよ

っていうのがまだ分からないのかなと思います

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