そういう背景において
『国立戒壇論の誤りについて』のなかでも「現在は違うけども未来においては、正本堂が本物の御遺命になるかもしれない」と書いたことは今考えてみると言い過ぎにも思えるようなことを言ってしまっているだから、当時の2冊の本を破棄すべきと考えたけど
『国立戒壇論の誤りについて』のなかでも「現在は違うけども未来においては、正本堂が本物の御遺命になるかもしれない」と書いたことは今考えてみると言い過ぎにも思えるようなことを言ってしまっているだから、当時の2冊の本を破棄すべきと考えたけど
当時の宗門の流れの上から、その時の事実として破棄するのは辞めた
また正直に言うと
その当時は、私はそういうように書かざるをえなかったし
そういうようなことがあったのであります
この段落は日顕上人が正直なことを言いたいけど
そういう
の具体的な部分ははっきりと言えない心境を吐露されていますが
本書では、そういうこと、ああいうこと
との表現が随所に出てきます
本書を読めばそういう
というのが日顕上人が何を言わんとしているのかは、はっきり分かりますね
つまり
『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』の2冊は
私の本意ではないし
御遺命の正義についても、創価学会の都合のいいように
「正本堂」が本当の御遺命の戒壇と思わせる為に書かされてしまったので、現在はこの2冊は
歴史的な当時の資料として破棄せず保管するけど
一般の人は、読む必要はない
とのことですね
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