顕正会にとっては

御遺命に関する調査をスタートして8ヵ月

現時点で新たに思うことは

日蓮正宗員と顕正会員の法論の温度の違いですね

なんと表現したらいいのか難しいですが

法論に関しては顕正会を脱会して日蓮正宗に行かれた方が

よくブログで書かれているのを目にします

ブログを拝見すると

顕正会との法論に関してかなり自信のある記事ばかりだと思われます

この温度差は何からくるのか?

私が調査を続けて思うことは

顕正会の末端の会員同士では御遺命の戒壇に関して

調査・検証・分析を行っているチームがほぼ皆無であり

それに比べて日蓮正宗に所属している

会員は御遺命の戒壇に関して

例え入信したての人でも

調査・検証・分析を行っているチームが顕正会対策の

論戦をしっかりサポートできるようになっていると推測しています

現在では入信したての法華講員の方までもが

ブログで「顕正会との法論希望!」と書いてあるのを見かけます

(私のブログでも紹介している方ですが)

つまり分かりやすい言葉でいうと

「顕正会の末端の会員は、御遺命の戒壇に関しての知識が無いから、日蓮正宗と法論しても勝てるはずがない」

という自信からくるものだと

ネット上で調査する限り思いました

私が調査する限り実際には法華講員の方達は

顕正会の御遺命の戒壇論を(黒)と断定することは

まず無理であろうと推測しております

私は今後も、一国民として法華講員の間違った御遺命の戒壇論を

訂正させていくつもりです

恐らく今後も私への法華講員からの回答は

返信できないか・無視され続けるか

多少の返事があったとしても反論不能になると推測しています

つまりなにが言いたいのかというと

私程度がこのくらいの事ができるのだから

顕正会本部が法華講員対策を本気で進めれば

例え顕正会に入信したての人でも法華講員への教義対策を

レクチャーできる体制が取れるものと思っています

顕正会破折Q&Aにしたって

いくらでも法華講員が反論できなくなる論陣を取れるハズ

と私は思っています

なぜ顕正会はそれをやらないのか?

私はそれが顕正会の意思だと思います

これも何と表現したらいいか難しいですが

例えば先程紹介した

現在では入信したての法華講員の方までもが

ブログで「顕正会との法論希望!」と書いてあるのを見かけます

この入信したてにも関わらず強気の発言ですが

これは信心からくるものではないと推測しています

つまり

先輩法華講員の顕正会対策が万全と見込んでの強気であると

思われます

自分の後ろ盾の強さによって、ブログの内容に影響されているものと思われます

つまり

私が今後活動を進めるなかで

この新入信の法華講員の方の二の舞が、顕正会内で起こってしまうことが心配になってます

私がブログで書いている御遺命の戒壇論は

正しく解釈して使えるなら

例え法義にかなり詳しい法華講員の方が相手になっても

恐らく反論できないでしょう

だけど、それでもって

「俺は強い」「俺はすごい」「いつでも法華講員と相手してやる」

みたいな空気を顕正会の中に入れたくないのです

だからこそ、私程度の教学の論法は真似して欲しくないのです

顕正会員は顕正会のスタイルでお願いしたいのです

ちょっと捻くれた戦法を使えば

法華講員に簡単に勝てる方法ならいくらでも考え付くハズです

だけど顕正会はやらない

顕正会の「顕正会の信心はそれではない」の意思を感じます

それを今のうちにこのブログに明記しておきたかったのです

日顕上人は【近現代における戒壇問題の経緯と真義】のなかで

文書の表には表されてない

正本堂の意義付け前の段階での

御遺命の戒壇論の正義は顕正会側にあるとの趣旨であります

私は一個人として各ブログ内に蔓延る間違った御遺命の戒壇論を訂正させるべく活動しているだけなので

顕正会員の信心に余計な影響は与えたくないのです

それだけは

今のうちにここに明記しておきます

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