「創価学会の宗門支配の画策と宗門の対応」(その3)

本書で「正本堂」の経緯をずっと書いてきたが
池田会長はずっと「正本堂」を本物の御遺命の戒壇にしようとしてきたが結局、最後はどうなったかというと浅井会長の抗議で諦めざる負えなくなったそこで、池田会長は妙信講(顕正会)にバレずに「正本堂」を御遺命の戒壇にする為に
日蓮正宗に直接圧力をかけてきたそれは2つあって① 正本堂建立の記念賞与本尊の裏に「正本堂は本物の御遺命の戒壇ですと書け」② 正本堂が出来たのだから公開するのだと、公開することによって

正本堂が御遺命の戒壇の意味になるから「公開せよ」と

上記のように創価学会の企みも

妙信講(顕正会)の抗議で創価学会が諦めざる状況になったとの記述は

本書には何度も登場しますね

そして、妙信講(顕正会)が抗議する主張は正論な為

創価学会も反論できないことも本書には何か所も書いてあります

そこで、上記のように

妙信講(顕正会)の目を盗んで、ばれないように

なんとか、「正本堂」を御遺命の戒壇にする為に日蓮正宗に圧力をかけていたとの事ですね

「創価学会と妙信講への宗門の対応」を学ぶ(その13)

この段落でも、やはり創価学会は妙信講(顕正会)の正論の反対出来ない為

妙信講(顕正会)にバレないように、日蓮正宗に圧力をかける

作戦を実行していたと日顕上人は教えて下さっています

そしてここで一つ、日顕上人が教えて下さったのは

「正本堂」は本来は公開するつもりはなかったけど、創価学会が公開・公開だというので

公開する事になったとの趣旨が書いてあります

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