「創価学会と妙信講への宗門の対応」(その15)

昭和四十五年四月二十二日

日達上人は時局懇談会と教師補任式で戒壇の御本尊様が事であるから

戒壇の御本尊様まします所は全て事の戒壇になる

本物の御遺命の戒壇とは言わないけど

事の戒壇という意味では「正本堂」も正解だと

私たちは、本当の事の戒壇は

『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇だと思っていたので

日達上人に質問しに行ったことがある

上記は前回の勉強会の続きですね

「創価学会と妙信講への宗門の対応」を学ぶ(その14)

つまり、創価学会は政府に国立戒壇は間違えと回答せざるを得ない状況だったので

顕正会の許可を貰わずに自分達の判断で回答してしまった

そうなると

『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇の重要な定義の部分の変更をしなければならない

だから日達上人は、事の戒壇の定義変更をされたとの趣旨が回想されていますね

そして日顕上人の本音も同時に書かれています

日顕上人としては本当の事の戒壇は

『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇だと思っていると

要するにこの段落の要点をまとめると

創価学会が政府に「国立戒壇」が間違えと回答してしまったことから

日蓮正宗も巻き添えをくらってしまった

日顕上人は事の戒壇は『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇だと分かってはいたけど

創価学会の圧力によって日達上人は本物の戒壇の定義を変更した

とのことが書いてありますね

※この段落のポイントは

日顕上人は本当の事の戒壇の定義は、分かっていたけど創価学会の圧力があるので

日達上人の指導通りにするしかなかった

そして昭和54年に日達上人が亡くなって、代わりに日顕上人の代になったけど

いきなり間違いとは言えないので

そのままの形で進めるしかなかったと、本書には書いてあります

コメント