「創価学会と妙信講への宗門の対応」(その11)

そのあとも、妙信講と学会との論議のような形においては、あのころ観妙院日慈上人が総監であり

私が教学部長で、この二人がその間に入って、さんざん立ち会ったことがあるのです。

その時でも、学会はずるいことに「日達上人がおっしゃっているのだ」などと言ってとにかく猊下を障壁にする癖がある。

これは本当にそうです。

そういうように、「猊下と言えば文句はいえないだろう」とのいうのが学会のやり口だったのです

この段落は本書を読む上ではかなり重要な部分ですね

つまり、(創価学会・顕正会・日蓮正宗)の当時の三角関係がはっきり書かれています

まず妙信講と学会との論議のような形とは、他の段落では抗議と書いてあるので

妙信講はさんざん抗議したという解釈で間違いないと思います

次に、妙信講はなんの抗議をしたかというと、本書を読むと創価学会が正本堂を本物の御遺命の戒壇だと

日蓮正宗に圧力をかけているのを止めようとすることですね

三角関係の内訳は

創価学会に抗議しているのは妙信講

日蓮正宗は間に入って見守る立場みたいな感じですね

しかし、文面だけ見ても日蓮正宗は妙信講の意見に賛成で「学会はずるい」との発言からしても

創価学会の意見には反対しているとの印象を受けます

本書では、日蓮正宗は創価学会に御遺命の戒壇について、意義を唱えたカ所は一つもないと書きましたが

この段落をみれば当時の日蓮正宗の立ち位置が分かりますね

本書を読めば、日蓮正宗としては正本堂を本物の御遺命の戒壇とは言いたくない

だけど圧力があって言えない

だから妙信講に頑張って貰わないと困るとの状況だったと伝わってきます

後は、創価学会の本物の御遺命の戒壇の定義を変更させる具体的の手口も話されてますね

つまり日達上人にOKを貰えばそれで、全ての自分達の意見が通せると・・・

つまり日顕上人は何をいわれたいかというと

このことを話されるということは、本書に出てくる日達上人の話は

すでに学会の意図が入っていると読み取れます

後は、妙信講なんですが

本書では創価学会の抗議役で活躍しているにも関わらず

「正本堂の意義付け」には暗黙の強力をさせられている

私はいつも思うのですが

教義の細かい部分は本書を勉強して欲しいとして

そもそもなんで、ブログをやっている人は

妙信講のことを、そんなに悪く言うことが出来るのか?

当時、妙信講に入って貰って抗議して貰ったにも関わらず文句ばかりいうなら

創価学会に直接自分たちで反対するべきだと私は思います

コメント