【『国立戒壇論の誤りについて』『本門事の戒壇の本義』の二書と戒壇の御門について】(その⑤)

それから『一期弘法抄』の国主というこの考え方も

もっと深い背景的意義を考え現代的な拝し方をしなければならない

今は、国民主権だから、国主というのは確かに民衆なのです

けれども、政治の在り方というのは、どこでどう変わるか未来のことは判りません

日達上人も「未来のことは判らない」と言われています

だから、今大聖人様がお残しになった本物の御遺命の戒壇について

政治の在り方も、民主主義の形も、憲法もどう変わるかわからないから

その時の憲法下で考えるべき

上記の部分は本書では、色々なところに出てきますね

本書が書かれたのは20年近く前で日顕上人は、その当時は

「国立戒壇」というのは、憲法を改正すれば理論的には可能だが

その当時では、まだ憲法を改正するということ事態が、国民から抵抗がある時代だから

「国立戒壇」を建てる為に、憲法を改正するというのは国民の理解が得れないから

広布の妨げになる可能性がある旨を言われています

あくまでも日顕上人は現代的な拝し方をする必要があると言われています

「創価学会と妙信講への宗門の対応」を学ぶ(その9)

私のブログでも書きましたが

20年の時間を経て

現在は国民からの憲法改正のニーズが強まってきました

つまり、国民の為になる法律改正なら私達国民が積極的にやろうと

当然、本物の御遺命の戒壇の功徳を、国民が理解する時代が来たら

本物の御遺命の戒壇を建てるか・建てないかを

国民投票で決定する時代になったと言えます

法律の準備は出来ました

後は、国民が本物の御遺命の戒壇の重要性を理解して

世論がどうすればよいのか?と騒ぐまえに

日蓮正宗として、その準備に取り掛かるべきではないかと私は思っています

しかしながら、「国民投票法」が施行された現在においても

皆さんのブログ内から未だに

国立で建てる御遺命の戒壇は憲法違反で出来ないとか

天皇が関与する御遺命の戒壇など絶対にない

と書かれている記事がまったく添削すらされていない状況をみると

いったい日顕上人の御指導を理解していないのではないかと疑います

上記の件についても今後ブログ・ホームページを管理している方に

質問して行こうと思います

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