「田中智学による提唱」(25p~26P)

【国柱会の田中智学が「本化妙宗式目」のなかの

「勅命国立戒壇」のなかで「事の戒法」と言われるところの

『三大秘法抄』の意義を取ったそれが勅令であり、国立戒壇だと言う事を初めて言い出した

そして田中智学が言うには事壇のできる条件としてまず大詔が渙発される天皇の勅令が発せられると

一国が同帰になるからいろんな宗教があるけれど

それらは強制的に日蓮大聖人の仏法に帰依しなければならない

これが宗教と政治が一体になると言う事を表明している、さらに国家が統一されて一大勢力を作る事により

世界の思想・宗教を日蓮大聖人の仏法に統一すると言っているそういう意味から

田中智学がはじめて「国立戒壇」という語を言い出した】

日顕上人は59pで浅井会長と田中智学の考え方がうり二つと書いてあります
まずは、田中智学と浅井会長の御遺命の戒壇の内容について具体的にくらべていこうと思います

浅井会長著「正本堂の惑惑を破し懺悔清算を求む」のなかでは
「有徳王・覚徳比丘」の故事は涅槃業に説かれている。

歓喜増益如来の末法において仏法まさに滅せんとする時、正法を護持した一人の聖僧がいた。名を覚徳という。

このとき生活のために出家した禿人(職業僧侶)も多数いた。

これら無道心の悪僧らは、覚徳比丘が正しく仏法を説くを聞いて利害の心より増悪を生じ、殺害せんとした。

この時の国王を有徳という。有徳王は覚徳比丘が危害を加えられんとするのを聞き、護法のためにかけつけ、 悪僧らと戦った。

この王の奮戦により覚徳比丘はあやうく殺害を免れたが、有徳王は全身に傷を負い、命終したという。

この有徳王・覚徳比丘の振舞いの中に、国家権力と仏法の関係そして在り方が、自ずと示されている。

大聖人仰せられる王仏冥合とは、政治権力が政権維持のために仏法を利用したり、僧侶が国家権力にへつらって 自宗の繁栄を策し
たりすることではない。

このような関係は王仏冥合ではなく癒着である。

このような、仏法のためには身命も惜しまぬ護法の大道心が一国に満ち満ちた時、戒壇を建立せよと、大聖人は定め給うたのである。

「国立戒壇」とは、国費によって立てる戒壇の意ではない。広宣流布の暁の事の戒壇は、全国民の燃えるような赤誠の供養によるべきである。

また国立戒壇とは、国家権力による強制をも意味しない。

信仰は強制によってなし得るものではない。

あくまでも一対一の折伏により全国民が三大秘法を受持する時が広宣流布であり、その時が戒壇建立の時だからである

浅井会長が主張する御遺命の戒壇は田中智学の戒壇説とは全然違うというか寧ろ正反対ですね

要するに田中智学のいっている国立戒壇を実現するには、天皇が強制的に、日蓮大聖人の仏法に帰依しなさいと命令すれば日本は

日蓮大聖人の仏法を国教にせざるを得ないよねと言ってるし

浅井会長が主張する御遺命の戒壇は信仰は強制ではなく信心が一国に満ち満ちた時が王仏冥合なのだと言っている

つまり強制ではなく国民一人一人が日蓮大聖人を信じた時と言っていますね

だから国民一人一人が日蓮大聖人を信じた時というのは国民の総意であり国民の総意であるということが現代の憲法下では

国家意思の表明と言っています

浅井会長著の出版している本はネットで購入できる物は全て読みましたが、御遺命の戒壇に関する内容は全て上記と同じ内容でした

浅井会長の主張と田中智学の主張がうり二つとどころか、実際には正反対の事を言っている

寧ろ浅井会長の主張する「国立戒壇論」と日顕上人が主張する「国立戒壇論」は非常に酷似しています

これはどういうことかと言うと、日顕上人は顕正会の国立戒壇の主張内容が、田中智学と同じではない事など分かっていると思わ
れる

相手の主張する内容を把握せずに、日顕上人が田中智学の主張を顕正会と「うり二つ」という訳がありません

本書にも書いてありますが、当時の学会の圧力によって「ほぼ御遺命の戒壇としてOK」としてあげたのが2冊の本で

その当時の2冊の本に基づいて、沢山のお金と人が動いて「正本堂」が出来た だからその当時2冊の本を全て「間違いだった」と言えない

日顕上人の気持ちをくむ必要があります

本書のなかでも、「当時は、そういうものがいろいろあった」と重要な部分を濁す言葉がいろいろ出てきますし

当時の2冊の本を発刊した意義付けが必要と本書では吐露しています

ですので2冊の本を書いた理由の一つの「田中智学と、うり二つの顕正会の間違った主張を訂正する為」というのは、あくまで意義付けの為で

本当の田中智学と顕正会の主張する「国立戒壇」の内容は、今は正本堂がないから論議しても意味がないとおっしゃっています

本書を読めば当時の2冊の本が、日顕上人の本音ではなく、あくまでも意義付けの為と書いてあるので

当時の2冊の本が日顕上人の本音が書いてあると解釈する方はいないのではないかと思います

「じゃあ顕正会は悪者扱いじゃないか!」と捉える人もいると思いますが

本書の中では、顕正会は全て悪いのではなく御遺命の正義の大事な部分では正しい御奉公していると書いてあります

本書では日蓮正宗が創価学会によって本物の御遺命の戒壇は正本堂ですと言えと強要されていたが

間に顕正会が命がけの抗議をしたおかげで、創価学会は日蓮正宗に対して正本堂を本物の御遺命の戒壇とせよと強制できなくなったと書いてあります

要するに、この時に顕正会が抗議した「御遺命の戒壇の正義」の内容が日蓮正宗も助かったと認める

本物の御遺命の戒壇の内容ということではないだろうか

(日顕上人もいろいろ書きにくい事はあると思いますが、本書ではこの部分をもっと詳しく書いて欲しかったと個人的には思います)

本書ではこの部分がかなり重大ポイントで今後、当時、顕正会がどのような抗議ないようをしたのか調べる必要があります

(その部分の調査は、近いうちにブロブに書きたいと思います)

つまり、顕正会がいなければ日蓮正宗は「正本堂」を本物の御遺命の戒壇ですと言わされていたとの事です

この問題は現在ネット上では、日蓮正宗は「正本堂」を御遺命の戒壇とは言っていないという意見が主流ですが

本書を読むと、顕正会が命がけの抗議をして創価学会が日蓮正宗に御遺命の戒壇の件で抗議したから、日蓮正宗は「正本堂」を御遺命の戒壇と言わずに済んだが正解ですね

なんでこんな簡単に回答が載っているのに未だにネット内では日蓮正宗が「正本堂」を御遺命の戒壇と言ってるか?

言ってないか?みたいなことで論議しているのか 何をやっているのかと言いたくなりますね

これも、正しい教科書を使用しないで、どこかの書籍を引用したり、どこかの古い新聞とかから引っ張っているから、いつまで

も終わりのない論議をしているのが現状ですね

ツッコミ所はもっとありまして、ネット上では国立戒壇は田中智学の真似というのがどのブロブ内でも紹介されていますが 実際

に田中智学と顕正会の言っている「国立戒壇」の内容を比較しているブロブを見たことがないですね

他のブログをやっている方達は、細かい部分はいろいろな文章を過去から引っ張ってきて比べることをやっていますが

なんでこんな大事な部分はやらなのか?、もしくは比較してみたらおかしい事に気づいて触れていないかのどちらかですね(後者の方だと思うけど)

【本日のまとめ】

田中智学と顕正会の国立戒壇の内容は正反対

当時の創価学会の圧力によって当時の2冊の本の出版理由の意義付けが必要だった

創価学会が「正本堂」を御遺命の戒壇と言わなくて済んだのは顕正会の命がけの抗議のおかげと書いてある

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