【質問⑱】信教の自由が保障されている現代では「勅宣・御教書」がなくても戒壇は建立出来るについて

「勅宣・御教書」が国立戒壇建立の根拠とは言えない

信教の自由が保障されている現代では

「勅宣・御教書」がなくても戒壇は建立できる

上記の内容も

たまにブログで書く人もいますね

本当にそうなのか?

この問題もまた

【近現代における戒壇問題の経緯と真義】

から日顕上人の指導を確認していこうと思います

尺がないので要点だけまとめます

○(97p)

昭和47年に『国立戒壇論の誤りについて』
昭和51年に『本門事の戒壇の本義』
のなかで

御遺命の戒壇は広宣流布達成前に建ててよいとか
書いてしまったけど

それは創価学会の圧力によって書かざるを得なかった

○(98p)
2冊の本の中で

王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで
「建築許可書」と書いてしまったけど

これは当時、創価学会の圧力によって書かされた内容

現代は勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても

そういう軽々しいものとして考えるべきではなく
もっと深い背景的意義を拝すべき

以上

日顕上人の指導を確認しましたが

御遺命の戒壇は民間で建ててもOKだから

「建築許可書」があればいいんだよ

と言ったのは

創価学会に圧力をかけられたからであって

本当の御遺命の戒壇を建てる時の勅宣・御教書については

そんな軽々しく考えてはいけないと

日顕上人は戒められておりますが

「勅宣・御教書」が国立戒壇建立の根拠とは言えない

信教の自由が保障されている現代では

「勅宣・御教書」がなくても戒壇は建立できる

この内容は

あまりにも日顕上人の指導から外れた内容ではないでしょうか?

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