【質問⑭】当時の日蓮正宗と顕正会の「国立戒壇」の考え方の相違について

これも、よく各ブログの方が書いている内容ですね

確かに、昔は日蓮正宗も「国立戒壇」と言っていたが

現在、顕正会の言う「国立戒壇」とは意味が違うと・・・・

つまりネットでは昔の日蓮正宗の「国立戒壇」の言葉は正しい使われかたで

顕正会の今の「国立戒壇」の使い方は間違っている

使われ方

という様に紹介されていますね

本題に入りますが

昔は日蓮正宗はどのような「国立戒壇」を

考えていたのか?

この問題に対する日顕上人の回答を

【近現代における戒壇問題の経緯と真義】から

確認していこうと思います

(23p~30p)


まず(25p~26p)で日顕上人は田中智学の主張する「国立戒壇」の間違っている部分を指摘していますつまり、天皇が「国立戒壇」を強制すれば国民は他に信仰するものがあったとしても

強制して日蓮大聖人の仏法を信仰させる事によって

世界の思想・宗教を妙法化させると主張する

田中智学の「国立戒壇」は間違っているとの事

明治時代の御先師上人は

正規の戒壇は国家において造るべきと言われているが

終戦以前は欽定憲法だったので

天皇の許可が必要なので

御先師上人は、その様に言っていた

要するに明治時代の日蓮正宗の「国立戒壇」の考えをまとめると

「国立戒壇」は

①信仰の強制はダメ

②国家で造らなくてはならないので天皇の許可が必要

との内容ですね

この当時の、日蓮正宗の国立戒壇論は正しくて

現在の顕正会の「国立戒壇」は間違っていると

言っているのですが

いったい何が違うのでしょうか?

ネットで購入できる顕正会の書籍を調べる限り

①に関しては

顕正会の書籍では「国立戒壇」は信仰の強制ではなく

国民の総意が必要と

至る所に書いてあります

この部分は、各ブログを書いている方達も

書籍は読んでいる様なので、簡単に判明出来る内容だと思います

②に関しては

日顕上人は

終戦以後は国民の総意でもって

「国立の戒壇」が建てれる様になった

と説明されています

【質問③】国立戒壇は日蓮大聖人の教義ではない(国立という定義はされていない)について 

私の調査する限り

明治時代の日蓮正宗の「国立戒壇」は正しくて

現在の顕正会の「国立戒壇」が間違っている

との

主張は当てはまらないのではないかと思いますが

どうでしょうか?

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