勅宣・御教書について考え方について
ご質問致します
まず
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】から
日顕上人の指導を確認していきたいと思います
※尺がないので要点をまとめて書いてます
○(97p)
昭和47年に『国立戒壇論の誤りについて』
昭和51年に『本門事の戒壇の本義』
のなかで
御遺命の戒壇は広宣流布達成前に建ててよいとか
書いてしまったけど
それは創価学会の圧力によって書かざるを得なかった
○(98p)
2冊の本の中で
王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで
「建築許可書」と書いてしまったけど
これは当時、創価学会の圧力によって書かされた内容
現代は勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても
そういう軽々しいものとして考えるべきではなく
もっと深い背景的意義を拝すべき
日顕上人はあくまで、現在の憲法下で
御遺命の戒壇を考える必要がある旨を
指導されています
以上をもって考察すると
【質問③】国立戒壇は日蓮大聖人の教義ではない(国立という定義はされていない)について
↑
以前私が書いたブログに指摘しているように
現在の憲法下では
憲法改正国民投票法が施行された訳ですから
現在はネット社会でもって
多くの国民が日蓮大聖人の御遺命の戒壇に関する情報を
目にする環境が整い広宣流布も加速度を増してくると思われます
そして、御遺命の戒壇が憲法によって建てることができないなら
憲法改正した方がいいのでは?
との国民からの声が国会にまで届くのは、そう遠くないと
私は思っています
いや、そう思って早く広宣流布を進めたいと願うのが信心ではないかと思います
話はそれましたが
この憲法改正国民投票法によって御遺命戒壇を造る為の憲法改正が可決された時
閣議において決定され(内閣法第4条第1項)、
主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署し(憲法第74条)、
天皇が国民の名前で公布します(憲法第7条第1号)。
上記の手続きは
もはや「国家意思の表明」ということになると思います
つまり
日顕上人も現代の憲法下で御遺命の戒壇を考える必要がある旨を指導されているので
私達も現代の憲法下で御遺命の戒壇を
考える必要があるのではないでしょうか?
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