各ブロブを書く方の内容を確認してみると
御遺命の戒壇を建てる為の憲法改正に対して
「憲法を改正しなきゃいけないことになる」とか
「憲法改正は簡単には出来ない」とか
「時代に逆行した考え」とか
要するに憲法を改正して御遺命の戒壇を建てるのは間違っている
みたいな記述ですね
↑
(以前私が、その内容を詳しくブログで書いたのでみて下さい)
私が問題視しているのは現在ネット環境が整っている状況ですので
誰でも簡単に自分の意見をブログで発信できる状況であります
私が調査する限りネット内での
御遺命の戒壇を建てる為の憲法改正議論は
もはや議論までには話が及ばす分かり易い表現を使うと
「御遺命の戒壇を建てる為に憲法改正するなんて間違っている」
との趣旨が至る所で書かれています
これはある意味組織的に否定している感じに現在なっております
(現在、日蓮正宗の会員数は80万人くらいでしょうかそのなかの方達がそれぞれブロブでもってその情報を発信することは社会にも大きな影響を及ぼすことになると思われます)
そして
この内容の記事が拡散している現在では
一般の人がブログを読んだときどのブログを読んでも
「御遺命の戒壇を建てる為に、憲法を改正することはまちがっているのか」
と勘違いされてしまうと思われます
話は少し変わりますが
国民投票が実施された時投票する人に対して
投票するようにとか・投票しないようにとかの
圧力をかけることに対して罰則が決められています
国民投票は誰がどこに入れようと自由です
だとすると
御遺命の戒壇を建てる為のプロセスとして憲法改正を否定する情報発信は
(つまり、御遺命の戒壇を建てる為の憲法改正の意思を封じる事)
コンプライアンスとしてどうなのか?と感じます
しかしながら
「そんなのは信教の自由なのだから、発言の内容は自由」
との意見もあると思います
しかしながら
日顕上人は
〇あくまでも現在の憲法下で御遺命の戒壇を考えなければならない
(64p)
国民から非難が起こる案件に関しては十分に配慮しなければならない(取意)
とあくまでも現在ではコンプライアンス重視の考え方を指導されていると思われます
以上の内容を考える時御遺命の戒壇を建てる為の
憲法改正を否定する文書は
あまり書かない方がいいと思われますがどうでしょうか?
コメント