twitterにて下記の御返事を、かぶろんさんに送りました
正本堂が、御書にないのは、そんな昔に正本堂と言う戒壇堂が建てられる事は知らないからですね。
一期弘法附属書並びに、三大秘法抄の意義を含んだのは、将来、本門寺の戒壇堂になり得るものだったからですね。 道理、文証、現証と言う言葉を使ったのは、文証として、日達上人の訓諭があり、文証があるからです。 道理と現証まであるとは言ってません。
一期弘法附属書並びに、三大秘法抄の意義を含んだのは、将来、本門寺の戒壇堂になり得るものだったからですね。 道理、文証、現証と言う言葉を使ったのは、文証として、日達上人の訓諭があり、文証があるからです。 道理と現証まであるとは言ってません。
【御書にない言葉について】
(近い将来、私と、かぶろんさんの討論を読まれる法華講員・顕正会員の皆様にも話しておきます)
現在ネット上では、「国立戒壇は御書にない」との理由で国立戒壇を否定している(ブログ・サイト)は山ほどあります
法華講員にとって「国立戒壇は御書にない」とのキャッチフレーズは定着しているものと思われます
しかしながら実際に法華講員の方々と討論時、正本堂について追及すると
正本堂は鎌倉時代には無い言葉だった・・・と言います
この矛盾分かりますか?
私は多くの法華講員との討論を通じて、正本堂の話をすれば、かぶろんさんが
正本堂が御書にないと言うのは分かっておりました
さて前置きが長くなりましたが、かぶろんさんに回答します
文証ないんじゃ、国立戒壇は、日蓮さんの御遺命じゃあないじゃん。 仏法は、道理、文証、現証。
あたりまえです、そんな昔に国立戒壇という言葉が御書にないからです
【一期弘法付属書並びに三大秘宝抄の意義付けの文証について】
道理と現証はないのですね、分かりました
「正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘宝抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」
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なぜこの訓諭が、正本堂に一期弘法付属書並びに三大秘宝抄の意義を含めた文証なのでしょうか?
文証とは、その文が正しいことを証明するんですよね
何も説明してないではないですか?
文証とは、その文が正しいことを証明するんですよね
何も説明してないではないですか?
この訓諭を読んで、誰が正本堂に一期弘法付属書並びに三大秘宝抄の意義を含めた理由が分かるのでしょうか?
プレゼントの正本堂が何の文証の条件をクリアして
本門寺の戒壇堂になり得るものになったのですか?
かぶろんさんが説明している文証は
全く文章に明らかになっておらず
なんとなくそんな感じの回答ですよ
後、私は顕正会員ではありません
国立戒壇については、文証の話が終わったら
じっくり話しましょう
国立戒壇については、文証の話が終わったら
じっくり話しましょう
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