「創価学会の宗門支配の画策と宗門の対応」(その5)

有名な話ですが

昭和47年10月12日の正本堂完成奉告大法要が終わってから帰る信者に向かって

「本日、本物の御遺命の戒壇が建立しました。ありがとう」

と池田会長は宗門には分からないように創価学会の側近の者に言わせた

とにかくなんとしてでも本物の御遺命の戒壇の達成ということに

持っていきたかったということです

宗門には分からないように、創価学会の側近の者に言わせた
とは創価学会が本当に分からないようにしてたのは

妙信講(顕正会)であることは本書を読めば明らかですね

(正本堂ができる直前に日蓮正宗立会いの元創価学会と妙信講(顕正会)が法論した結果

創価学会教学部は負けて、正本堂を本物の御遺命とは言えなくなってしまった)

そして最後の手段というか

かなり強引なやり方で「正本堂」を本物の御遺命の戒壇に

なんとしても成立させたいとの思いが伝わってきますね

「創価学会の宗門支配の画策と宗門の対応」を学ぶ(その3) 

私のブログでも何度も書きましたが

本書では創価学会教学部は妙信講(顕正会)との法論の結果

「正本堂」を御遺命の戒壇と言えなくなってしまった

だから、妙信講(顕正会)にバレずになんとか「正本堂」を御遺命の戒壇にする作戦を

何度も考えて実行していると書いてあります

コメント