「一天広布による御遺命の実現へ」(その②)(106p~108p)

要するに、御遺命の戒壇は『一期弘法抄』の「本門寺の戒壇」ということであります

だから未来の戒壇については「御遺命の戒壇である」ということでよい

その御遺命の戒壇とは、本門寺の戒壇である

さらに本門寺の戒壇ということについて、浅井会長は「国立戒壇」と言っているけれども

御遺命という上からの一つの考え方として

「国主立戒壇」という呼び方は、意義を論ずるときに

ある程度言ってもよいのではなかろうかと思います

なぜなら『一期弘法抄』に「国主此の法をたてらるれば」とありますが

国主が立てるというお言葉は、そのものまさに「国主立」でしょ

国主立とは、『一期弘法抄』の御文そのものずばりなのであります

日顕上人は本書でも戒壇は御書にはないと説明されていますが

「国立戒壇」というワードが悪とは言われていませんね

本書でも、「国立戒壇」という名称は、20年前では憲法を改正するということに

国民が不安をもつと判断した上で、広宣流布にブレーキがかかるとの理由から

「国立戒壇」という名前を言わなくなったとの趣旨が書いてあります

『国立戒壇論の誤りについて』『本門事の戒壇の本義』の二書と、戒壇の御門について(その⑤) 

さらに日顕上人は「国主」とはいった誰なのかという事も教えて下さっています

「妙信講(顕正会)の処分について」(その2) 

つまり

20年前の政治の在り方では

「国立戒壇」というネームは悪ではないけど、世間の反発があるから
使用しないだけで

「国主立戒壇」

「王法立戒壇」

「天皇立戒壇」

「民衆立戒壇」

「国民立戒壇」

という名称なら世間の抵抗もなく使用できるとの事です

そして20年の歳月が流れて現在は「国民投票法」が出来ました

「創価学会と妙信講への宗門の対応」を学ぶ(その9) 

もし憲法を改正して戒壇を建立できる原案が通れば

「国立戒壇」という名称も使用可能となりました

この段落は、本書で日顕上にが何度も現在の政治の在り方では

「国立戒壇」はできないけれども・・・・・・と説明されていますね

しかし、もっと大事なポイントは

日顕上人が

さらに本門寺の戒壇ということについて、浅井会長は「国立戒壇」と言っているけれども

御遺命という上からの一つの考え方として

「国主立戒壇」という呼び方は、意義を論ずるときに

ある程度言ってもよいのではなかろうかと思います

と浅井会長の主張を理解していることですね

本書でも出て来ますが

浅井会長の言う「国立戒壇」と田中智学の言う「国立戒壇」はうり二つ

と日顕上人が言っていますが

私がなんども説明している通り

「正本堂の意義付け」の為に、無断で浅井会長に協力して貰っていることが

上記の日顕上にのお言葉ではっきりと分かりますね

日顕上には最初から浅井会長の「国立戒壇」の主張が

田中智学と同ではないことなど分かっているんですよ

本当に「国立戒壇」という呼称がデタラメだったら

「国立戒壇」はダメ「国主立戒壇」と言うべきと言われるはずですね

話は戻りますが現在の憲法下なら、憲法改正後に建てられる戒壇建立の

原案の交付は天皇が国民の名前で発表するとのことなので

(つまり、天皇がテレビの前で発表するということでしょう)

「国民立戒壇」及び「国主立戒壇」との意味になると思うけど

実際は国立の建物だと

「国立美術館」とか「国立劇場」とか「国立大学」とか「国立銀行」とか

「国立博物館」とか「国立印刷所」とか「国立天文台」とか

「国立競技場」とか「国立公文書館」

とかがあるわけだから

建物は「国立戒壇」になる可能性は大いにあると思います

「国主立美術館」とか「国主立図書館」とかの名前はおかしいとわかるじゃないですか

そうなると現在の憲法下から

本物の御遺命の戒壇の名称を考えると

「国立戒壇」の名称を使用したところで

法的に何も問題ないことになります

その点を「国民投票法」が施行できた現在

各ブログを運営している人はどう考えているのか今後、質問していこうと思います

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