【質問⑥】「国立戒壇は田中智学が言い出した」について

「国立戒壇は田中智学が言い出した」

これは本当にどこのブログを見ても必ず書かれている内容ではないでしょうか?

要するに

各ブログの方の「国立戒壇」の言葉の使用方法は

「国立戒壇」=悪

と言う書き方をしている方がほぼ全てだと思われます

改めて

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読んで

本当に日蓮正宗として

「国立戒壇」=悪

なのか

その真義を確認していこうと思います

田中智学の言う「国立戒壇」というのは

天皇主権の時代は天皇の勅令が発せられれば

日本人は強制的に日蓮大聖人の仏法を信仰させる事ができる

そうすれば政教も一致するし

さらに国家も統一できるし

世界の思想・宗教を妙法化することが出来ると言っている

そういう意味で田中智学は「国立戒壇」という語を言い出した

しかし、田中智学と日蓮正宗で法論となったが

国立戒壇論には全く触れなかった

(26p~28p)

実際に「国立戒壇論」の内容を法論したのは

田中智学ではなく他門とだった

その時、日蓮正宗としては正しい「国立戒壇」は

国家において造らなくてはならないと反論した

要するに終戦以前は欽定憲法だったので

「国立戒壇」を実現するには天皇の許可が必要だった

それから時代が進んで、現在は国民主権なので

政教分離が憲法20条ではっきり示されているので

憲法を改正しない限り「国教」ということは
絶対にできない

(31p)

現在は主権在民なので御遺命の戒壇を建立するには

国民の総意が必要
(107p)

まず本書を読めば真っ先に分かる事は

田中智学の主張する「国立戒壇」は

要するに

信仰の強制を意味しているのでダメだという事を日顕上人は言われてますね

日蓮正宗としては、あくまでも国民の総意で

御遺命の戒壇は建立しなくてはダメという事ですね

そして大事なポイントは

「国立戒壇」を言い出したのは誰か?

ではないんですよ

そもそも田中智学の言っている「国立戒壇」はデタラメと分かっているし

「国立戒壇」の語を言い出したのが

田中智学だろうが、誰だろうが

あまり関係がなくて、日顕上人はあくまで歴史の流れの上の

資料として田中智学の事を学ぶ機会を与えてくれた訳で

大事な事は、日蓮正宗として

本当に御遺命の戒壇の建立は

個人的に建てていいのか?

少数のグループで建てていいのか?

民間団体で建てていいのか?

それとも国家で建立するものかのか?

ということが大事なポイントだと思います

そこで日顕上人は

国民の総意でもって建立する御遺命の戒壇を目的にしている訳なので

「国立戒壇」の語を最初に田中智学が使おうが

あまり関係がなくて

本書でも日顕上人は

「国主立戒壇」と言う名称でもOKと言っている訳なので

日蓮正宗の御遺命の戒壇建立の目的は

国民の総意で建立する戒壇で

何も変更はないと思いますが

どうでしょうか?

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