【質問⑫】大日蓮542号(28~29頁)の記事について

〔有名ではないのかネットを調べる限りでは全文を読めるものはまだ見つかってないですが、多分平成3年に書かれた記事ではと思います〕

に書いてある事を

分かりやすくまとめると

『三大秘法抄』『一期弘法抄』に書いてある

本当の御遺命の戒壇は

未来の事で、更に未定の事だから

自分たちが断定したり、執着してはダメ

御遺命の戒壇に関しては

御仏意に任せて、自分たちは折伏を進めて行く事が

大事なのだと

信じています

という様に書いてありますね

この記事は各ブログの方達が

どういう時に使われているかというと

私は各ブログの方の御遺命の戒壇に関する記事内容の調査を進めていますが

その内容のほぼ全てと言っていいんじゃないでしょうか

御遺命の戒壇について

あの記事は間違っている

あの内容を破折する

あの内容の根拠はない

あの内容を否定する

あの内容はニセ情報だ

‥などがほぼ全部で

間違った御遺命の戒壇論を否定する文書は作成してありますが

正しい御遺命の戒壇は「○○です」

と正解を書いている記事をほとんど見た事がないですね

(正確には正解の御遺命の戒壇論について書いてる方もたまに見かけますけど、でもその内容は全て正本堂の意義付けの御遺命の戒壇論ですね

詳しくは私のブログを見て下さい)

話はそれましたが

これは多分一般の人が

御遺命の戒壇を否定している記事をよく見かけるけど

でも

正しい御遺命の戒壇は「○○です」と説明している

文書が書いてないから

要するに正しい御遺命の戒壇は何なの?

との感想を持つと思われます

それで、各ブログを書いている人に質問する人もいるんじゃないでしょうか

「では本当の御遺命の戒壇とはなんですか?」と

その時の回答として登場するのが

大日蓮542号(28~29頁)の記事の内容ですね

要するに

未来の事で未定だから分からない

この回答は信心をやっていない一般の人からしたら

どうなんでしょうか?

御遺命の戒壇について否定はするけど

正解は判らない

分かりやすく例えると

1+1=3 は間違っていると断言するけど

正解は判らない

と言っているようなもの

この回答ではたして一般の方が納得する事ができるのだろうか?

普通に考えても筋の通らない論調ではないかと思われます

では何故この様な論調が出回ってるのかを

【近現代のおける戒壇問題の経緯と真義】の

日顕上人の指導を確認したいと思います

【質問⑧】(宗門は御遺命を破壊したのか・してないのか)について 

要するに

創価学会のせいで、日蓮正宗は本当の御遺命の戒壇の定義を

変更せざるを得なかった

との事ですね

(84p)には

日達上人が亡くなって、日顕上人がその後を引く次ぐ事になったけど

日達上人が締め括られたところから出発しなければならなかった

本書を読めば日顕上人は日達上人が

本当の御遺命の戒壇の定義を変更した

その後を引く次ぐしかなかったとの旨の内を吐露されている

部分だと読み取れます

話をまとめると

創価学会のせいで

本当の御遺命の戒壇の定義を変更せざるを得なかった事は

現在も続いているので

日蓮正宗としては

「本当の御遺命のは何か?」と質問されても

回答が出来ない

と言うことではないでしょうか?

更に(107p)にはもっと具体的に御遺命の戒壇について書かれています

つまり

平成3年の時点では、御遺命の戒壇は御仏意に任せると書いてありますが

本書では

(平成16年の段階では)

本当の御遺命の戒壇は「国民の総意が必要」と書いてあり

御遺命の戒壇が

個人的に建てる事

少数のグループで建てる事

民間団体で建てる事

を禁止しています

要するに

【近現代における戒壇問題の経緯と真義】が出版される事によって

大日蓮542号(28~29頁)の記事の内容は

打ち消されていると思われますがどうでしょうか?

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