【質問㉕】元妙信講等処分の経過について

元妙信講等処分の経過について | 星界の道~航海中!~ – 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

昭和49年11月に日蓮正宗宗務院から出された

元妙信講等処分の経過について

の全文を掲載されていた方のブログを見つけたので

載せておきます

さて、元妙信講が解散宣告を受けた

宗務からの解散宣告書の全文が今、見れるのは有難いですね

さて、この解散宣告書が

法華講員の方々がブログ内でどのように使われているかというと

大きく2つにあって

①「国立戒壇」の名称不使用宣言を守らない

②要するに社会的に皆さんに迷惑をかけた

だから妙信講は解散処分を下されたという内容ですね

みなさんがブログで引用している妙信講の解散理由は

この文書の一部をコピーして使用している訳ですね

解散処分宣告書はかなり長文ですので

要点をまとめてみました

【教義面での解散処分の理由】

〇日達上人が昭和45年5月3日に

「国立戒壇」という考えはないという宣言に反対している

〇日達上人が昭和47年4月27日に

「正本堂」は広宣流布の時
本当の御遺命の戒壇になるかもしれないと宣言した

〇日達上人は昭和40年2月16日

「正本堂」がだいたい本当の御遺命の戒壇であることを
示された

〇日達上人は昭和40年10月17日

日蓮大聖人の御遺言の通りの本門寺の戒壇にかなり近い
「正本堂」を建立したいと説明

〇昭和47年3月26日

要するにいろんな日蓮正宗の組織のトップに対して

「正本堂」は本当の御遺命の戒壇にかなり似ている
と御指南された

〇これらの日達上人の指導は

一番重要な指導であるから日蓮正宗所属の人は
全員守らなくてはダメ

〇この訓諭によって
宗門一同が全員賛同した

〇上記の宗門の決定したことに妙信講は反対したから
解散処分にした

〇国立戒壇という語は御書にどこにもない

〇昭和49年時点での憲法下から考えると
「国立戒壇」の用語はこだわる必要がないし
大聖人様の真意も誤解されるし有害でもある

〇昭和49年時点での政治体制から考えると
一期弘法抄の「国主この法を立てらるれば」の

国主=国民であって「国立戒壇」ではない

〇あくまでも宗教教義の解釈は

その時代の憲法下で考えなくては法を下げることになる

〇「国立戒壇」は現在の憲法では出来ないから
布教の妨げになるし社会的にも問題

〇日蓮大聖人の仏法は世界宗教だから

日本だけで建てる「国立戒壇」は大聖人様の御本意ではない

〇妙信講は「国立戒壇」を実現する為に

憲法を改正する
天皇制を復活する
(この部分だけは妙信講・顕正会で発言されていると書籍はいまの所確認できていない

日蓮正宗を国教化する
との主張は現実離れしている

【教義面以外での解散処分の理由】

〇処分に至る経緯について浅井会長は一方的に宣伝しているが
それらは故意に歪曲・捏造している

〇昭和16年以降いろんな寺に所属していたが
指導者の独善性・非協調性の為
問題をいろいろおこしてきた

〇妙信講は「国立戒壇」という間違った論理を実力行使によってかく乱しようとした

〇日蓮正宗として妙信講を説得したが
日達上人の本音を妙信講が代弁していると主張している

〇昭和45年4月3日
妙信講は日達上人から直接「国立戒壇」が正解
との情報を聞いたと言っているが

昭和45年5月3日に日達上人は「国立戒壇」は間違いと
公式宣言している

〇しかし妙信講は
この宣言は創価学会の圧力で曲げられたと言っている

〇これは日達上人に直接言うと処分されるから
日達上人の御指南に忠実な学会のせいにすれば
日達上人を動かせるとのずるい計算をしている

〇昭和45年5月3日前後

創価学会と妙信講が信者同士で誤解を解く為に会談した

その中で日達上人や日蓮正宗が正本堂について
最終的な結果を下したことはない

その話し合いの結果
昭和45年9月11日
「報告書」を作成した

その内容は
正本堂が御遺命の戒壇なのか、そうでないのかは
不明ということになった

〇正本堂の意義は
信徒同士で話あうことではなく
猊下が決めること

〇信者同士が勝手な主張をしないと合意だったはずなのに

妙信講は勝った勝ったと国立戒壇論を公言し

「正本堂につき宗務御当局に礼し訴う」と

「正本堂につき池田会長に礼し訴う」等の文書をもって
誤った主張を繰り返した

〇昭和47年に入ると
妙信講は自分達の意見を受け入れないなら
実力行使をすると脅してきた

〇昭和47年11月~49年5月
登山させてくらなければ
実力行使をすると脅してきた

〇昭和49年10月4日
創価学会を襲撃した

まず

【教義面以外での解散処分の理由】の

社会に迷惑をかけたとか事件のことに関しては

私の専門ではないので正直、この部分の事実関係は

私には分からない

しかし

【教義面での解散処分の理由】を読んだ感想ははっきり言って

「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」

の内容と同じですね

この2冊については

【質問①】本門事の戒壇の本義と・国立戒壇論の誤りは参考資料にならないのではないか 

以前ブログで書いた様に日顕上人は

現代ではこの2冊は
(98p)

全くの空論(意味がない)と言われていますし
(87p)

あの2冊に関しては

破棄

(現代で言うとリコール=回収が必要)との趣旨を書かれています

日顕上人はあくまでも、現代での憲法下、政治体制で

御遺命の戒壇を考えなくてはならないとの指導をされています

さらに

【質問⑩】昭和45年5月3日の日達上人の御指導について

【質問⑪】日達上人の「御遺命の戒壇発言」の背景について 

日顕上人はこの当時の日達上人の御遺命の戒壇に関する

宣言・発言は創価学会の圧力で言わされているので

参考にすることは出来ない

という趣旨を書かれております


以上の日顕上人の指導を確認すると

昭和49年11月に妙信講の処分宣言については

御遺命の戒壇に関する部分に関して言えば

空論(意味がない)

破棄

(現代で言うとリコール=回収が必要)という

ことではないでしょうか?

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