顕正会破折Q&A (4)についての質問

顕正会破折Q&A (honsyuji.jp)

日蓮正宗としての回答は

浅井会長は明治以前の猊下は「国立戒壇」と言ってはいないが

その真意は「国立戒壇」であると主張しているが
しかし、この浅井会長の主張は

明治以前の猊下が「国立戒壇」の文言を用いてはないことを

自ら証言したようなもの

明治以前の猊下も「国立戒壇」を主張していると言っているけど

これこそ日蓮大聖人の背くこと

と顕正会に対して回答しています

さて・・・・・

顕正会破折Q&A 2.3でも

同じ内容を書いてきましたが

【質問㉗】「国立戒壇」が宗門の目的なら明治以前の猊下が「国立戒壇」を目的にしているハズ

そもそもこの日蓮正宗の回答として

「国立戒壇」の文言を明治以前に言っているのか・言っていないか

という事を回答としていることが間違っていると思います

(そんなことを知りたいんじゃないと、皆さん思っていると思います)

まず日顕上人も御書の中に「国立戒壇」と言う言葉はない

と説明されています

だから、この部分はこれでいいんです

鎌倉時代に「国立戒壇」なんて現代的なワードがあるハズがないのは誰でもわかるので

そこがポイントではないのです

そんなところが論点ではないのです

例え明治以前の猊下が「国立戒壇」の文言を主張していなくても

現代の日顕上人が日蓮正宗として御遺命の戒壇は

「国立」の可能性があることを吐露されていることが問題なのです

要するに

【近現代における戒壇問題の経緯と真義】の

日顕上人の御遺命の戒壇論は

突き詰めると

顕正会の「国立戒壇論」と同じではないのか?

というところがポイントであって

「国立戒壇」のワードが

御書にあるとか・ないとか

明治以前の猊下が使っているとか・使っていない

とかは

関係ないのです

もっと極端なことを言えば

明治以前の猊下が「国立戒壇」を言ってなくてもいいんです

御書に「国立戒壇」の言葉がなくてもいいんです

それは現代の御遺命の戒壇論には関係ないのです

現在の日蓮正宗としても

一番最後の猊下が言われた御遺命の戒壇論を信じなくてはならないと

回答している訳ですから

【近現代における戒壇問題の経緯と真義】の

日顕上人の指導を根本としなくては

ならないのではないでしょうか?

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