日蓮正宗の回答としては
(1)
日昇上人は昭和30年11月23日の「慶賛文」にて
確かに「国立戒壇の建立を待ちて670余年」と仰せられているけれど
ここで仰せの「国立戒壇」とは広宣流布の暁に建立される戒壇という意味で
「国立戒壇」という用語が当時通用していたので使用した
(2)
田中智学と浅井会長が主張する「国立戒壇」は
日蓮大聖人の仏法を日本の国教にて
国立戒壇を建てるような考え方ではない
(1)に関しては
要するに日蓮正宗の公式見解としては
広宣流布の暁の御遺命の戒壇は「国立戒壇」との
認識があるという事だと思います
そしてもう一つは
昭和の時代でも「国立戒壇」の文言は
通用していたと解釈しています
つまり国民主権である現代の憲法下でも
「国立戒壇」のワードは通用できるとの見方をしております
(2)に関しては
そもそも
大前提として
田中智学と浅井会長の主張する「国立戒壇論」は
全く違います
寧ろ浅井会長の主張する「国立戒壇論」は
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】の
日顕上人の指導と非常に酷似しています
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