コットンあめ 様へのお手紙 (FC2ブログ)

焦らず・気負わず・一歩ずつ 2012年09月 (fc2.com)

コットンあめ様 初めまして
ブログ読まさせて頂きました
私もブログを書いており
日蓮大聖人の御遺命に関して調査をしております
旭川と申します

公開・非公開にかかわらず、現役法華講員の方達に取材及び討論の活動を行って参りました

そのなかで、コットンあめ様の、ブログ内の記事において
ご質問があります
正確には、教学に詳しい法華講員の方に聞いてきて欲しいのですが

大聖人様の御書のどこに国立戒壇の言葉が出てるんですか?

との内容ですが
この文言は法華講員のブログを書いておられる方達の殆どの方が書いておられる内容だと思うのですが

 

そして、次のように日顕上人も、「国立」ではなく「国主立」と言うほうが内容的に適切ではないかと仰っているのです。「大聖人様の御書のなかに、直接に「国立戒壇」という語はどこにもないのです。ただ最後の『一期弘法抄』において、
「国主此の法を立てらるれば」(御書 一六七五ページ)
という御文があります。
この「国主」の語には人格的な意味があるが、「国」の上から人格的な意味を示すと、結局、天皇になるのであり、国が立てるというのと、国主が立てるということは、実際には意味が違ってくるのです。
むしろ、あの御文から拝するならば、「国立」でなく「国主立」と言うほうが、内容的に適切ではないかという意味もあります。
まして、宗門の御先師の方々が大聖人様の三大秘法の御法門について色々な面から述べられておるけれども、「国立」という語をおっしゃった方は、明治以前は一人もいないのです。
今も文庫に御先師の文献がたくさんあるけれども、どこを探しても、御先師が「国立」ということをおっしゃっておる文はありません。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』24~25頁)
御書は、鎌倉時代に書かれたものですから
当然、「国立戒壇」という現代語が書かれているハズがないのは誰でも理解できると思います日顕上人も上記の様に御書及び明治以前に直接に「国立」という語は使用されていないと説明されておりますしかしならがら、日顕上人は上記の文書のなかで
「ただ」と注意書きをされていることを多くの法華講員の方達は
見逃しているし、忘れてしまっておりますそれは『一期弘法抄』の
「国主此の法を立てらるれば」(御書 一六七五ページ)の現代的解釈は「国主立」の方が適切ではないかと御指南されています

この「国主立」とは何かを簡単に説明すれば

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」107p参照
現在の政治体制は主権在民なので国主の意味は国民になります
そして国民の総意でもって御遺命の戒壇は建立することになります

しかしながら、このプロセスは政教分離の憲法第20条に違反します

ここで初めて日蓮正宗と顕正会の考えが分かれるのです

つまり日蓮正宗は憲法改正は不可能だから現代は「国立」ではなく「国主立」が内容的には相応しいと主張しており

顕正会は憲法を改正すれば「国立」の戒壇が出来るではないかとの主張です

そして時代は流れ、令和3年9月18日
「憲法改正国民投票法」が施行され
国民の意思で憲法を改正できる法整備が整い
「国立」か「国主立」かの論争に終止符が打たれたと思われます

20210908_「憲法改正国民投票」のコピー (soumu.go.jp)

ここから細かいことは割愛しますが
国民の総意による憲法改正国民投票法の結果
政教分離の憲法が改正されれば「国立」の戒壇は実現可能ということになります

つまり国民の総意で造る建物は
「国立図書館」しかり
「国立美術館」しかり
「国立競技場」しかり
「国立博物館」しかり
頭に「国立」がつくことになりますつまり国民の総意でもって造る戒壇なら
「国立戒壇」になる可能性は十分に考えられるということです
ですから法整備が整った現代では「国立戒壇」との名称で
なんら問題はないのではないでしょうか?私のブログのアドレスを張り付けておきます
私の連絡先もあります
国立戒壇に関する調査報告書 | 全国民に対して調査内容を報告しています (asahikawa1990.com)忙しいところ恐縮ですが
教学の詳しい方に聞いて貰えますか?
コットンあめ様は長らくブログを更新されてないので、現在は運営されてないと思うのですが
もし、ご自分のブログを見る機会があればよろしくお願いします2022年9月17日
旭川

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