当時書いた2冊の書のなかにはどうしても当時、創価学会が
正本堂の意義付けに狂奔し、その関係者からの強力な要請もあって
本書の趣旨からすれば行き過ぎが何点かあったようにも、今となっては思うのです
この件に関しては日達上人も、池田創価学会の強引な姿勢に困っていた
だけど、折伏が進んでいることには創価学会を励ましつつ見守っていた
正本堂の意義付けに狂奔し、その関係者からの強力な要請もあって
本書の趣旨からすれば行き過ぎが何点かあったようにも、今となっては思うのです
この件に関しては日達上人も、池田創価学会の強引な姿勢に困っていた
だけど、折伏が進んでいることには創価学会を励ましつつ見守っていた
当時、日顕上人が創価学会と、本書で初めて登場する、その関係者からの強力な要請があり
書かされたとの趣旨が書いてあります
この段落では当時、日顕上人が創価学会とその関係者からの圧力がかけられている
だけど、日達上人は創価学会は折伏は進んでるから、励ましつつ見守ろうとのスタンスを取っているとの事
自分はやりたくないけど、その間に入って板挟みになっている日顕上人の気持ちを察することが必要です
なので言いたくても全部は言えないけど、なんとか伝えようとしている日顕上人の状況ですね
日顕上人と日達上人の本音としては
正本堂を本物の御遺命の戒壇にしろと強要してくるわ
なんでも日達上人のせいにしてずるい事をしてくるわ
本書でもなんども池田会長はずるいと表現していますね
その創価学会を励まし・見守るというのは社交辞令だと分かりますね
2冊の本に書いたことが行き過ぎが何点かあったと書いてありますが
恐らくこれも社交辞令と解釈してもいいのではないかと思う
何点どころか、相当な数の書き換えがあったのではないかと推測できる段落です
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