鬱将軍様へのお伺いへの回答④ | 諸宗 破折 (ameblo.jp)
鬱将軍様に下記の御返事がありました
②同じことを何度も書く気は無いです。
私は日蓮正宗の教義、歴史に基づき回答をしています。
③に関しては個人情報なので公開はしません。
最後の文についての一言。
御遺命の戒壇について所属している法華講員によって違うのかということの問は簡単です。
「他の宗教から来て その宗教の思想を捨ててないから」です。
創価学会から来た人は創価学会の 顕正会から来た人は顕正会の 他の宗教から来た人はその宗教の思想を捨ててないからです。
戒壇論に至りてはその思想が残る傾向にあるように思います。
ある者は巨大な建物が必要だと言い、またある者は国立戒壇だと騒ぐのです。
それから 元創価学会や元顕正会の人達は「100%全て間違っていた」とは認められないのです。
池田さんがおかしい。浅井さんがおかしい。 ニセ本尊や僧侶不要論などの
問題を上げて 「そこがおかしいのであって全て間違っていた訳ではない。」と正当化しているのです。
だから戒壇論は正しいと思い込んでいるのです。
別に認めて1から信仰をすればいいが、それが出来てない。 出来ていないから他の宗教の思想を自分の中に残していて
それを出しているんです。
だから法華講の中でこのようにバラバラな回答が出てくるのです。
日蓮正宗の信仰をするとなったら御受戒を受けますがその時に邪宗邪義の邪師を捨てて正法正義の正師を持ち奉ると誓っているのに
捨ててない事がおかしいのです。
旭川さんがどう思われるかはわかりませんがこれが私の出した法華講員における戒壇論が違う理由の結論です。
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