【質問①】本門事の戒壇の本義と・国立戒壇論の誤りは参考資料にならないのではないか

初めまして〇〇〇様
最近「近現代における戒壇問題の経緯
と真義」を読みまして
近現代における当時の日蓮正宗の状況
がよく分かり
今まで不明だった点が日顕上人の
御指導でとても納得
出来ました
そこで、一つ質問がありますので
〇〇〇様の見解を
教えていただけますでしょうか?
実は私の質問は他の一般のブロブをやっている方に質問したのですが
どうもこれと言った回答が頂けない状況なので
忙しいと思いますがご質問致しました
因みに自分は御書の内容とか
法義関係は全くの無知で
よく分かっておりません
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」
を読み一般常識の範囲で思ったことは
この当時の2冊は参考資料としては
使えないのでは?と思っています
その理由としては
1.   本書全体として
当時は創価学会からの圧力があり
正本堂を御遺命の
戒壇っぽくしてあげる為に
いろいろ便宜を図らなければなら
なかったとの記述が
至る所で見受けられます
その主な内容をピックアップしました
●昭和40年4月6日には宗門の大石菊寿師
が「正本堂」を学会の都合のいいように
「実質的な本門戒旦堂の建物」と
書かされているとの事(55p)
●「大石師の例からしても
宗門の全体が学会のそのような考えの
在り方に、ずっと引きずらていったような
意味があるのです」(55p)
「そのような考え方の在り方」とは
なんとしても正本堂を本物の
御遺命の戒壇としたい
創価学会の圧力に従わざるを得なかった
との趣旨が書いてあります
●『国立戒壇の誤りについて』と
『本門寺の戒壇の本義』は
日顕上人の自発で書いたのではなく
当時、教学部長をしていたから
書くことになってしまったとの事(59p)
●「教学部長時代とはいえ
書いた二冊のなかにはどうしても当時
創価学会が正本堂の意義付けに狂奔し
その関係者からの
強力な要請もあって、本書の
趣旨からすれば聞き過ぎが
何点かあったようにも
今となっては思うのです」(59p)
「創価学会が正本堂の意義付けに狂奔し」
とは創価学会が正本堂を本物の
御遺命の戒壇にさせる為に
圧力をかけ続けて来たとの回想と
思われます
●「昭和42年11月号の『大日蓮』に
正本堂建立発願式の特集として
「載せるから何か書け」と言われたのです
それで、高木伝道房、私、藤本栄道房
椎名法英房、大村寿顕房
菅野慈雲房等が書いているのですけれども
これが当時の空気に飲まれてしまっていて
だいたいそうゆう流れの上から
発言をしてしまっているのです
空気というものは恐ろしいものですが
あのころはそうゆうものが
色々とあったのです」(65p)
「何か書け」とはなんでも言い訳ではなく
日蓮正宗の公式見解として
正本堂を御遺命の戒壇してもOKだと
書けとの事だと思います
つまり昭和42年11月号の『大日蓮』に
掲載された内容は
デタラメな正本堂の御遺命の戒壇を
日蓮正宗としてOKしてあげた記事との
事だと思います
この当時の6人の方が書かれたものは
信用できないとの
解釈になるのではないでしょうか
●あるいは本門寺に改修する時には
やはり正本堂自体が『一期弘法抄』の
戒壇になる
建物であるということは絶対に譲れない
といのが学会の方針だったのであります
(69p)
●「宗門をことごこく支配しようとした不逞な
根底が確かにあったわけです」(77p)
●特に昭和49年ごろのことだが
色々な意味で創価学会が
実質的に支配しようとしたことがあった
(1)本山事務機構の実質的支配
(2)財政面の支配(学会依存を高める)
(3)渉外面の支配
(4)信者に対する統率権の支配
(5)墓地、典礼の執行権の委譲
(6)総代による末寺支配
上記のどこまで支配されたのかは
具体的には書いてないですが
(6)は実行されてしまったと書いてあります
(79p)
そこで私が思う事は
出店:フリー百科事典
『ウィキペディア(wikipedia)』より参照
【言論出版妨害事件】
(尺がないので短くまとめます)
創価学会が出版、流通を阻止して
池田大作会長が公式に謝罪した
上記の事実関係の詳細の
真意はわかりませんが
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」
を考える上で大事なことは
当時、著者、出版社、取次店
書店等に圧力をかけて実際に妨害する
事が出来る程創価学会
の権力は強かったと伺えます
だとすると身内の日蓮正宗に
(1)~(6)を実行する事及び
正本堂を本物の御遺命の戒壇でOKと
日蓮正宗の本来の御遺命の戒壇の
定義を変更させる事は
十分可能だと予想が出来ます
●「また正直に言いますと
やはりその当時は
私はそういうように書かざるをえなかったし
そういうようなことがあったのであります」
(87p)
つまり(四)創価学会の宗門支配の
画策と宗門の対応」の段を読むと
【日達上人の時代は創価学会からの圧力
が強く創価学会の都合のいいように
御遺命の戒壇の定義を変更せざるを
得なかった】
だから自分(日顕上人)の代になって
いきなりやっぱりダメと言う訳にはいかず
日達上人の方針のままに
御遺命の戒壇の定義を学会の
都合のいいようにして
あげなくてはならなかった
という解釈であっているのでは
ないでしょうか?
●日顕上人は、日興聖人の棟札が
文献的に確かなものではないことを例にあげて不確定な文献を用いてはいけないとの指導をされていますが「国立戒壇論の誤り」と「本門事の戒壇の本義」は
日顕上人が御自身で指摘しているように
正本堂の意義付けの為に創価学会に書かされた非常に不確定な内容で

日顕上人もこの2冊の本は破棄するのが相応しいとのことも言われているので

その不確定な2冊の本を参考資料にすること自体が

日顕上人の指導から反するのではないでしょうか?

●昭和47年の
『国立戒壇論の誤りについて』と昭和51年の
『本門事の戒壇の本義』は私が
書いてはいるけれども
たしかに、戒壇の建物は広布完成前に
建ててよいとか
正本堂が広布時の戒壇と想定するような
今からみれば言い過ぎや
はみ出しがあるけれども
これはあくまでも正本堂の意義を
『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした
創価学会の背景に
よらざるをえなかったのです(97p)
つまり2冊の本は創価学会の圧力によって
『三大秘法抄』の戒壇になるっぽく
作ってあげたと解釈できます
●「これは当時の在り方において
学会からの具体的な勧誘もあり
私がそのように書いてしまったのです」
(98p)
●「この法案堂については
池田大作が正本堂に関して
『三大秘法抄』だ『一期弘法抄』だと言って
強いて意義付けしたようなことは、」(101p)
2.  本題の「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」
についての記述では
案に創価学会の圧力があり当時の
書籍は学会の意向を
書かざるをえなかったみたいな事が
随所に書いてあります
日顕上人の当時の回想を
ピックアップしました
●平成3年3月9日に
『国立戒壇論の誤りについて』と
『本門事の戒壇の本義』のなかで
正本堂は広布の時に『一期弘法抄』
『三大秘法抄』の
戒壇となる建物だというように
その時はそう思って書いたけれども
現在においては不適当であると
はっきり言っておきます(96p~99p)
(要するに2冊の本は
、創価学会の圧力があり正本堂を
本物の御遺命の戒壇で大丈夫と言ったけど
やはり間違っていたということだと
解釈できます)
ということは2冊の本を書いた時の
本物の御遺命の戒壇についての記述は
ニセ情報だったとの
解釈になるのではないでしょうか
●昭和47年の『国立戒壇論の誤りについて』
と昭和51年の
『本門事の戒壇の本義』は私が
書いてはいるけれども
たしかに、戒壇の建物は広布完成前に
建ててよいとか
正本堂が広布時の戒壇と想定するような
今からみれば言い過ぎや
はみ出しがあるけれども
これはあくまでも正本堂の意義を
『三大秘法抄』の戒壇に
作り上げようとした創価学会の圧力が
あったからかかされただけで
正本堂がなくなった現在では2冊の本は
「無効」みたいなことが書いてあります
(96p~99p)
(要するに2冊の本は、創価学会の
圧力があり正本堂を
本物の御遺命の戒壇で大丈夫と言ったけど
やはり間違っていたということだと
ということは2冊の本を書いた時の
本物の御遺命の
戒壇についての記述はニセ情報
(言い方は悪いですが)
だったとの解釈になるのではないでしょうか
●二冊のなかで、を述べるなかで
「建築許可書」ということを
書いてしまったけど、当時は学会の圧力が
あったのでそう書いてしまったけど
でも、今考えてみると、やはり今は
勅宣・御教書は
その現代的な拝しかたとしても
そうゆう軽々しいものとして
考えるべきではなくもっと深い背景的意義を
拝すべきと思うのです(96p~99p)
つまり
「王法や勅宣・御教書に対する解釈」も
間違った情報だったとのことでは
ないでしょうか
●私は当時
教学部長をしていたものだから結局
このことについて私が
書くことになってしまった(58p~75p)
●昭和47年に
『国立戒壇論の誤りについて』
昭和51年に『本門寺の戒壇の本義』
というものを出版した
この二冊の本は理由があって書いた
その理由というのは
①(創価学会の圧力によって)どうしても
正本堂の意義づけを含め
やらざるおえなかった
②田中智学とうり二つの浅井の考え方を
破る為
➂また本来の在り方を示しつつ
創価学会の考え方の行きすぎを
やや訂正をする為に書いた
(58p~75p)
(③では「やや訂正をする」と書いてあります
が本書を読む限り創価学会の望む通り
正本堂を本物の御遺命の戒壇として
あげる為に2冊の本を書いたけど
現在でははっきりと2冊の本の内容は
間違いだと言っておきますとの)
日顕上人の発言が見受けられます
●書いた二冊の本は、どうしても当時
創価学会及び
その関係者の強力な要請もあって
本書の趣旨からすれば行き過ぎが
何点かあったようにも
今となっては思うのです(58p~75p)
●その当時は創価学会の圧力があって
だいたいそうゆう流れの上から
発言をしてしまっている
あのころはそうゆうものが色々
あったのです(58p~75p)
●『国立戒壇の誤りについて』のかなでも
(本書の趣旨からいうと本門戒壇の本義も)
「今は違うけど、未来には正本堂が
御遺命の戒壇になる
可能性はある」というような
今考えてみると言い過ぎにも思えるような
ことを言ってしまって
『国立戒壇の誤りについて』という本は
破棄しようと思ったが、その当時の事実を
残す為にも破棄することは辞めた
その当時は創価学会の圧力があって
私はそうゆうように書かざるをえなかった
(76p~88p)
(2冊の本を破棄せずに残した理由は
創価学会・顕正会等の
邪義破折の為との趣旨は見当たりません
寧ろ、将来の参考資料として事実の残す
為と伺えます)
●「国立戒壇論の誤りについて」のなかで
「王法」の解釈と
正本堂の建物についてのことでは
書き過ぎがあったという感じもしています
これも当時の(創価学会の事とか)
流れのなかで
妙信講を慰撫教導するという意味では
あのように書いたことはやむを得なかった
(89p~92P)
以上、日顕上人の話では自分の
本心ではないことを
創価学会の圧力によって書かされた
みたいな事が
随所に書いてあります
そうなると「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」
の2冊を参考資料としては
使えないのではないかと思います
3.「本門事の戒壇の本義」の
(発刊にあたって)のなかには
宗内の各位は創価学会・顕正会等の
邪義破折の為に本書Aと
B『百六箇種脱対見拝述記 改訂版』
(274p~320p)・(609p~628p)
及び、C『三大秘法義』を熟読して欲しいと
書いてありますが
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」
を読むようにとは書かれていません
現在いろいろなブログで
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」の書籍が
参考書類として多く使用されていますが
日蓮正宗としての公式の見解として
創価学会・顕正会等の
邪義破折に必要なのは
A・B・Cの3冊でよいと
掲載しているので、法華講員の方
一般の方も
その指示に従えば
いいのではないでしょうか?
4.その他の発言
●昭和45年4月に共産党から」
「創価学会は国立戒壇を目的にしているが
憲法違反ではないのか?」
との質問に対して創価学会が
1、本門戒壇とは仏法が広まってきた時に
信者の総意と信者のお金で立てるもの
2、それが正本堂です
3、本門戒壇を国立戒壇と呼称していたが
勘違いの元になるので
今後は「国立戒壇」という言葉は使いません
と回答した
そこで日達上人は昭和45年4月22日の
時局懇談会および同年4月27日の
教師補任式で
正本堂は事の戒壇といっても大丈夫との
御指南があった
つまり日蓮正宗が正本堂も事の
戒壇としても大丈夫としたのは
創価学会が政府に宗門の
事業でやると言ってしまったからと
書いてあるように思われる(70p~71P)
以上(1~7)の段落に分けて
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」の書籍が
参考資料として適してはないのではないか
として日顕上人の指導内容を
列挙してみました
最後に、私の意見として
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」の書籍が
参考資料として
適してはない旨を、1)~5)の項目に
分けて述べさせて頂きます
1)例えばの話ですが
仮に裁判で裁判官に提出する
証拠説明書の中で
「圧力をかけられたから書いた」
なんて書いてある書類は参考資料として
成立しないのではないかと思います
(教義の内容は裁判官は
判断出来ないのでは?
という問題はありますが
それにしても証拠書類としてここまで
「圧力によって書かされた」
と記載している2冊の本を
法廷で戦う為の武器とするには、かなり
頼りないというか一般人からでもかなり
ツッコミどころが多くなると思われます)
2)本書では正本堂を
「デタラメな御遺命の戒壇」と
位置づけしていると思われます
しかし、当時日蓮正宗は創価学会からの
圧力でやりたくはなかったけど
本物の御遺命の戒壇っぽくしてあげる為に
教義の内容を学会の要望に合わせて
変更せざるを得なかったと
回想してあります
そうなると、「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」
のなかの正しい教義だけ使用するという
のは出来ないのではないかと思われます
(その正しい教義が変更せざるを
得なかったと回想してあるので)
一般の方でも、もしかしたら
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」の本の中から
使える部分があるのではないかと言う
意見もあるのかもしれませんが
果たして、(1~10)の中で何処まで
学会のいい様に
「御遺命の戒壇の定義」に
メスを入れているのか?
それを、一般の人が判断出来るのか?
その判断を誰が正しいとジャッジ
出来るのか?
なぜ、一般の人がその作業を
やらなくてはならないのか?
このことが全く論議をされておらず
日蓮正宗としての周知もいまいち
浸透している様には見えず
一般の方が自分の判断でやってしまうのは
非常に危険だと私は思います
分かりやすく車の修理の例えで言えば
ミラーに不良がある程度の小さいものなら
修理して使えばいいと思いますが
ブレーキの設計図に致命的な欠陥が
あるならメーカーは注意喚起し
リコール(回収)の対応の周知をする
素早い対応が必要と思われます
しかしながら、2冊の本においては
まだ事の重大性に気付いていない一般の
人が十分な検討も行わず2冊の本を
使用しようとしている状況は
果たしてよいのか?と思われます
ついでに現在のネット内では現状ですが
2冊の本については日顕上人が「空論」と
注意喚起をしているにも関わらず
自分の思うがままに利用しているのが
現状です
つまり致命的である、車のブレーキの
図面をなににするかを
議論の対象とせずに、その車の塗装が
合っているとか、間違っているとか表面的な
問題の議論に終始している状況です
3)そもそも大前提として
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」を執筆された
日顕上人が『破棄』というワードを使用し
その言葉をそのまま
「近現代における戒壇問題の経緯と信義」
の書籍で(平成16年と平成31年)に
日蓮正宗として販売しているのだから
『うっかり指導の時に言ってしまった
言葉のあや』ではなく
日蓮正宗としての見解とみるべきで
一般的な考え方からいえば
2冊の本の内容の信用度は
なくなってしまっていると
考えるべきではないでしょうか?
4)一般的な考え方として
日蓮正宗としては「本門事の戒壇の本義」
と「国立戒壇論の誤りについて」を
一般信徒に学ばせようとしていないと
見受けられます
例えば、なんでもいいですが自分が
勉強している参考書の出版社が
「外部の圧力によって書かされた」とか
「その時の空気に飲まれて書いてしまった」
とか
「その時はそう思って書いた」とか
「言い過ぎ・はみ出しがある」とか
「書き過ぎがあった」とか
「今考えてみると」とか
などと発表したら、一般の人の発想は
「その参考書は使わない」
になるのではないでしょうか?
寧ろ「その参考書を買ったお金を返して
欲しい」
との気持ちが
出てくるのではないでしょうか?
書いた日顕上人自身が
「当時教学部長だっかたら
私が書くことになってしまった」
とコメントしているのに
どうして日蓮正宗として
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」を
学んで欲しいと推奨することが
できるでしょうか?
5)今後はネットの普及もあり
日蓮正宗の教義に関心を持つ方も
大勢出てこられると思いますが
その時に「御遺命の戒壇」について
世間の注目が集まってきた時に
(参考資料は何か?、根拠は何か?)
との声が多くあがってくると思われますが
その時に
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」
でここまで
圧力があって書かされたと発表した
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」の
本が参考資料だと
対外的に日蓮正宗として
発表をはたしてするのか?と思います
(一般的な発想からするとまず
出す事はないと思われますが
自分達が圧力をかけられて書かされた
書籍を参考資料として出せば
世間から失笑されるのでは
ないかとすら思っています)
後は、これは私の推測ですが
今後「御遺命の戒壇」とは何か?
との世間の注文が集まった時に
最初は教義の部分には
それほど注目は
集まらないのではないかと思っています
むしろ、ネット内でもいたる所で
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」
が参考資料として使用されていますが
その「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」の
参考資料自体が
成立してないのではないか?
との見方が
強まるのではないかと思っています

現に近年、法華講員管理者の各ブログ・及びホームページにて
日蓮正宗の公式見解の御遺命の戒壇と
日蓮正宗末寺ホームページ及び法華講員管理者のブログに掲載されている御遺命の戒壇では

内容が違うのではないかという問い合わせが多くみられるようになってきました

その問い合わせに対する回答を読むと
私から見ると
いや、一般の方が読んだとしても
回答になっていないものばかりではないかと感じております

話はそれましたが
(一般的には物事の正邪を論ずる時には、その物事を論証する参考資料が客観的に見て信用できるか・できないかが判断材料になると思いますが
当時に2冊が参考資料として適してはいないのではないかとの意見が多くを占めるのではないかと推測できます)

しかし、その時は日蓮正宗としての
公式見解として
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」
は日蓮正宗としては
参考資料にせよなどとは言っていない
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」
のなかでも
(本門事の戒壇の本義)と
(百六箇種脱対見拝述記 改訂版)
は熟読するように周知してあるが
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」を
熟読せよとは言っていない
むしろ無効とするべきとの内容を
掲載したつもりとの
回答を一応は発表できるのかなと思っております
その為の、布石として今回
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」
を平成16年と平成31年に2回発刊したのではないか
とも思っています
6)宗内の各位は創価学会
顕正会等の邪義破折の為に
何の書籍を参考資料として使うべきかは
『百六箇種脱対見拝述記 改訂版』
(274p~320p)・(609p~628p)と
『三大秘法義』と
『近現代における戒壇問題の経緯と真義』を
熟読して欲しいと書いてるので
まだ、「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」の
本は使える所があるとか
2冊の本にこだわる必要は
ないんじゃないでしょうか?
日蓮正宗としての見解を
素直にそのまま実践すればいいのではと
思っています

特に、本門戒壇の意義に関しては

近現代における本門戒壇の意義に
関する論議と大聖人御遺命の本義を
正しく拝する上で大変尊い御教示です

本門戒壇の本義を
正しく拝するなら
近年代における戒壇問題の経緯と真義
を教科書にしなさいよ
という事ですね日蓮正宗として正式な本門戒壇に関する
教科書が出ている訳ですから昭和40年代後半の
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤り」の
教科書を本門戒壇の本義以外の部分は
使えるとする意見は
社会通念上明らかに
一般の人と感覚が違うのでは
ないでしょうか?

昭和40年代の教科書をまだ使える所が
あるとして使用を促す
学校などないはずです

7)「近現代における戒壇問題の経緯と真義」
を読むと
2冊の本が書かれた目的は
正本堂を、御遺命の戒壇としても
大丈夫との承認をする為ですね
決して一般信徒に教義を学んで欲しい為に
書かれた本では
ないですね
学会に圧力をかけられたから
書かなくてはならなかったと
回想してありますが
その2冊の本を、日蓮正宗として
対外的にも学んで欲しいと
推奨する訳がないのではと思っております
以上、私の意見として
「本門事の戒壇の本義」と
「国立戒壇論の誤りについて」
の書籍が参考資料として適してはない旨を
1)~7)の項目に分けて
述べさせて頂きましたが
〇〇様の意見はどうでしょうか?

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