これも、よく各ブログの方が書いている内容ですね
確かに、昔は日蓮正宗も「国立戒壇」と言っていたが
現在、顕正会の言う「国立戒壇」とは意味が違うと・・・・
つまりネットでは昔の日蓮正宗の「国立戒壇」の言葉は正しい使われかたで
顕正会の今の「国立戒壇」の使い方は間違っている
使われ方
という様に紹介されていますね
本題に入りますが
昔は日蓮正宗はどのような「国立戒壇」を
考えていたのか?
この問題に対する日顕上人の回答を
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】から
確認していこうと思います
(23p~30p)
まず(25p~26p)で日顕上人は田中智学の主張する「国立戒壇」の間違っている部分を指摘していますつまり、天皇が「国立戒壇」を強制すれば国民は他に信仰するものがあったとしても
強制して日蓮大聖人の仏法を信仰させる事によって
世界の思想・宗教を妙法化させると主張する
田中智学の「国立戒壇」は間違っているとの事
明治時代の御先師上人は
正規の戒壇は国家において造るべきと言われているが
終戦以前は欽定憲法だったので
天皇の許可が必要なので
御先師上人は、その様に言っていた
要するに明治時代の日蓮正宗の「国立戒壇」の考えをまとめると
「国立戒壇」は
①信仰の強制はダメ
②国家で造らなくてはならないので天皇の許可が必要
との内容ですね
この当時の、日蓮正宗の国立戒壇論は正しくて
現在の顕正会の「国立戒壇」は間違っていると
言っているのですが
いったい何が違うのでしょうか?
ネットで購入できる顕正会の書籍を調べる限り
①に関しては
顕正会の書籍では「国立戒壇」は信仰の強制ではなく
国民の総意が必要と
至る所に書いてあります
この部分は、各ブログを書いている方達も
書籍は読んでいる様なので、簡単に判明出来る内容だと思います
②に関しては
日顕上人は
終戦以後は国民の総意でもって
「国立の戒壇」が建てれる様になった
と説明されています
【質問③】国立戒壇は日蓮大聖人の教義ではない(国立という定義はされていない)について
↑
私の調査する限り
明治時代の日蓮正宗の「国立戒壇」は正しくて
現在の顕正会の「国立戒壇」が間違っている
との
主張は当てはまらないのではないかと思いますが
どうでしょうか?
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