昭和49年に妙信講(顕正会)を処分しました
道理から言うと「国立戒壇」は誤りだから『国立戒壇論の誤りについて』のなかで
「国立戒壇が間違いだ」と言ったことは正しかったと思っております
この段落は
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私の以前のブログ内で詳しく解説をしていますが
本書が書かれた20年ほど前の話です
本書では、確かに浅井会長の言われる憲法改正後の「国立戒壇」なら理論上建てることは出来る
だけど、今日の日本の現状をみると簡単に憲法は改正することはできない
それは、まだまだ憲法を改正するということは国民の理解が得れないから
国民が反発して正しい布教の妨げになるから今は、「国立戒壇」を論じる必要がない
当時の2冊の本においても
王法や勅宣・御教書の解釈を「建築許可書」と書いてしまったけど
現在では不適格な表現で現代的な拝し肩をするなら、もっと深い背景的意義を排すべき
なので現在の憲法下では、本物の御遺命の戒壇は具体的論じれない
政治の在り方が変わったときに具体的に決めるべき
と日顕上人は言われています
そして20年近くの歳月が流れるなかで憲法を改正することへの国民の関心が高まり
(つまり、昔は憲法を変えるというのは悪いというイメージが多かった)
2021年9月18日に「国民投票法」が交付されて憲法改正の準備は整いました
〇国民の1/2の賛成で原案は通る事
〇通った原案のお金が国家が出すよ建物の名称も「国立」でいいよとなりました
〇決まった原案は天皇が国民の名前で交付するとなっています
要するに国民の代表=天皇ということになっています
現代ではここまで法案が決定されました
20年前は、国民からの憲法改正への反発が多かったので
道理の上から日顕上人はできないと言われていましたが
政治の在り方が変わった現在では
御遺命の戒壇論を新たに論ずる時代ではないでしょうか?
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