「正本堂の解体と奉安堂について」(100p~101p)

なぜ正本堂を壊したかというと創価学会が平成二、三年から謗法の姿が出てきたから

そして正本堂を解体して、奉安堂を作らせて頂いた

正本堂の建設の時には池田会長に

「三大秘法抄」と「一期弘法抄」の戒壇と言えと圧力をかけられて

正本堂を本物の御遺命の戒壇っぽくする為に意義付けを強要されたけど

奉安堂に関しては「三大秘法抄」と「一期弘法抄」では全くなく

ただ大御本尊様の安置の殿堂です

この段落では2つポイントがあって

①一つ目は

なぜ正本堂を壊したかというと創価学会が平成二、三年から謗法の姿が出てきたから

と書かれていますが

本書を読むと、昭和40年代に入って創価学会はすでに謗法の行いをしているとの趣旨が
書いてありますね

そして、日顕上人は創価学会には謗法との言葉を使われていますが

妙信講(顕正会)に対しては謗法の言葉は使われていないことに、もっと注目するべきだと思う

日顕上人が思う、創価学会と妙信講(顕正会)の

立場は全く違うとの認識をもつべきであると思います

②二つ目は

正本堂の建設の時には池田会長に

「三大秘法抄」と「一期弘法抄」の戒壇と言えと圧力をかけられて

正本堂を本物の御遺命の戒壇っぽくする為に、意義付けを強要されたけど

とはっきりと正本堂建立のとき、創価学会からの圧力で

本物の御遺命の戒壇の定義を変更させらていた

と書いてありますね

何度も、私のブログで書いていますが

当時の2冊の本は、本物の御遺命の戒壇の定義として使えないですね

逆に考えれば

当時の2冊の本に書いてあることと正反対の内容が

本物の御遺命の戒壇の定義である可能性が非常に高いです

日顕上人は当時の正本堂建設に関わった人達のことを考えて

慎重に発言していますが

本音では、当時の2冊の本に書かれていることの

正反対の解釈が、本物の御遺命の戒壇の定義だと

気づいて欲しいと言われているように感じます

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