2023年8月25日 かぶろんさんへの御返事

かぶろん / X (twitter.com)

 

かぶろんさんにtwitterにて下記の御返事を送りました

 


 

 

国立戒壇と言う名称は御書にない。 正本堂と言う名称は御書にない。 この2つの名称を出して、日蓮さんは御遺命としたないので、どちらも御遺命の戒壇堂ではない。 矛盾はしていない。

さて、ここからは国立戒壇についてじっくり話しましょう

まず、前回からのおさらいですが
正本堂と言う正体不明の建物に、一期弘法付属書並びに三大秘宝抄の意義が含まれる
理由・文証は誰も知らない
御書になくとも・文証がなくても、その時の法主に最終決定権がある、その時の法主次第
なので、御書にあるとかないとか、文証があるとかないとか関係ないです

参考までに
【近現代における戒壇問題の経緯と真義(24p)】
御書のなかに、直接に「国立戒壇」という語はどこにもないのです

これは、国立戒壇は御書にはないとする、パワーワードに頼っている方の根拠を根底から覆しています
直接でなければどんなものが国立戒壇なのかは
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】を読めばある程度分かります

(24p)
天皇の法華信仰によって皆帰妙法が日本国に行える可能性はあった。そこで、これを言ったのが「国立戒壇」という語であります

そもそも日蓮正宗は、御書に国立戒壇の言葉がなかろうと
「国立戒壇」の存在を認めています

日蓮大聖人の御書に、登場する言葉があろうとなかろうと
その時の法主が、国立戒壇が御遺命の戒壇だと言えば、それで終わりです
論理的に考えて、国立戒壇を否定することはできません

論点の確認ですが
「御遺命の戒壇が国立戒壇ではないと断言できるか・できないかです」

かぶろんさんは、どうやって国立戒壇を否定しますか?

 

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