特に歴史の流れの上から、本宗の戒壇の意義について総括されたものです
近現代における本門戒壇の意義に関する論議と、大聖人御遺命の戒壇の本義を正しく拝する上
で、大変尊い御教示です
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」というのは平成31年に日蓮正宗から正式に発刊された書籍ですね
私はこの本を御遺命の戒壇の教科書と呼んでいます
今まで分かりづらかった、御遺命の戒壇が歴史のなかでどう変更されてきたのかが良く分かる内容となっています
分かりやすくいえば
本書を読めば日蓮大聖人の、本当の御遺命の戒壇が分かるよということです
なので、本物の御遺命の戒壇を論議するときに他の古い新聞とか、他の古い書籍を引っ張り出して検証する必要はないんですよ
ただ、本書を読むに当たって大事なことがあってそれは当時の日顕上人のお心を察するという事ですね
本書にも書いてありますが日達上人の指揮で、創価学会の言う通りに
「正本堂」を本物の御遺命の戒壇っぽくしてあげる為に
(本書では上記の事を「正本堂の意義づけ」と表現してあります)
2冊の本を書かされてしまったと表現されています
つまり、このあたりまでが日顕上人の限界の表現ではないかと思われます
正本堂建設には多くの信者の御供養があり、建設にあたっての多くの関係者創価学会及びその関係者(59p)など
多くの人が携わっています、当然多くのお金が動いているのだと思います
そのなかで、2冊の本の執筆はやりたくはないんだけど、日達上人の指示もあるし創価学会からの圧力もあるし
その中で日顕上人が板挟みになって対応しているのが分かります
ですので、本書では当時の正本堂建設にあたっての関係者のことを考慮して、本物の御遺命のことは話したいけど
必要最低限の表現しかできないことを、理解するべきです
本書にも書いてありますが、当時、日顕上人が圧力をかけられていた時代背景をよくよく察する力が必要となります
だから、本書は特に歴史の流れの上からと表現されています
後、もう一つ大事なことは本書によく登場する、正本堂の意義づけというワードですね
つまり当時、正本堂を本物の御遺命の戒壇っぽくするには、教学に詳しい、末寺住職を納得させつつ実行しなければならないので
非常に難易度が高かったと思われますそこで
〇〇だから御遺命の戒壇の変更点があるとか
〇〇だから御遺命の戒壇にする必要があるとか
御遺命の戒壇の定義を変更するのに理由づけが必要になるので
ようするに意義付けの為に〇〇の部分が必要になってくるのです
それが本書では
浅井会長が〇〇だからとか
浅井会長の主張が〇〇だから
と浅井会長が入る部分が多いですね
実際に調べてみると(私の勉強会でも書いてありますが)浅井会長は
そんなこと言ってなかったり、正反対のことを言っていたりばかりなのですが
当時は、事実関係はあまり重要ではなく、意義付けを進めることが最優先だったと思われます
それを考慮してなのかは分かりませんが、日達上人は「浅井会長が悪口を言う」とは言ってますが
本書の中では浅井会長のことは、かなりリスペクトしていて、何か所にも渡って
当時、日蓮正宗が創価学会に圧力をかけられて「正本堂」を御遺命の戒壇と言わされそうになった時に
浅井会長が間に入って、命がけの抗議をしたおかげで正本堂を御遺命の戒壇といわずに済んだとの趣旨が書いてあります
以上のことを考慮して
本書を拝読する必要があると思います
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