顕正会が
国立戒壇を捨てた宗門は御遺命に違背している
との主張に対して日蓮正宗は
昭和45年5月3日 日達上人は
「国立戒壇」という名称を使用しないと決めただけで
御遺命の戒壇は否定していない
昭和45年5月31日 日達上人は
「国立戒壇」という名称を使わなかったとしても
「三大秘法抄」「一期弘法抄」の御書には「国立戒壇」の文字はないし
御書に違反するようなことはしていない
明治以前には使用されていない「国立戒壇」の四文字を使用しないからと言って
御遺命違背とはならない
と回答している訳ですね
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この部分の主張を
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】
の日顕上人の指導と照らし合わせてみます
(1)まず
昭和45年5月3日と昭和45年5月31日の
日達上人の指導及び宣言に関しては
つまり
当時の日達上人の御遺命の戒壇に関する
発言・宣言は創価学会からの圧力によって言わされているとの趣旨が書いてあり
これらの宣言は現代では無効と考えれられますが
どうでしょうか?
(2)
【質問⑧】(宗門は御遺命を破壊したのか・してないのか)について
明治以前には使用されていない「国立戒壇」の四文字を使用しないからと言って
御遺命違背とはならない
ではなく
創価学会の圧力によって
本当の御遺命の戒壇の定義を変更せざるを得なかったから
ダメなのであって
「国立戒壇」の四文字を使用しないからダメとの
ことではないと思いますが
どうでしょうか?
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