国立戒壇(こくりつかいだん)論の誤りに関する一考察 – 日蓮正宗 法華講 宝相寺支部ページ (hokkekou.com)
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「歟」の字があるから国立戒壇は日蓮大聖人の教義ではない
という内容は最近よく各ブログの方が載せてる内容ですね
ちょうど宝相寺支部様のブログに
久成坊住職の方が書いた全文が載っていたので
コピーさせて頂きました
要点をまとめさせて頂くと
↓
全顕正会員が地獄に堕ちる逆に宗門が改変しているなら
日蓮正宗全員が地獄に堕ちます② 勅宣・御教書は主権在民の今日において必ずしも必要とはいえず何が何でも勅宣・御教書を得て建立しなければならない訳ではないので
大聖人様は「歟?」という感じにした
要するにその時代に勅宣・御教書が必要だったら
あった方がいい
という趣旨だと思います
だから国立戒壇は大聖人の教義ではない
➂ 反対に顕正会は勅宣・御教書は戒壇建立に当たって絶対に必要な条件と言っている
④ 国立戒壇は現憲法で保障されている信教の自由と思想の自由を剥奪し
一般国民の不安と誤解を招き、かえって不況の邪魔になる
⑤ もし本論に反論されるというなら、必ず全文を挙げた上で反論願います
以上の内容を
本当の御遺命の戒壇の教科書
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」の
日顕上の御指導と照らし合わせてみます
① については
国立戒壇を改変してるか、してないかは
すでに日顕上人が話されていると思いますが
どうでしょうか?
↓
【質問③】国立戒壇は日蓮大聖人の教義ではない(国立という定義はされていない)について
② については
「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」の2冊の本の中で
「今の時代は勅宣・御教書は必要ないよ」と書いたが
それはあくまでも創価学会の圧力によって
正本堂を本物の御遺命の戒壇っぽくしてあげる為に
そう書かされてしまった
正本堂がなくなった今は、その2冊の本は
はっきり言って全くの空論(意味がない)
今考えてみると、やはり今は勅宣・御教書はその現代的な拝し方としても
そういう軽々しく考えてはいけない
もっと深い背景的意義を拝さないといけない
と指導されています
(98p)
この段落を読んで
勅宣・御教書は必要ないと解釈する
一般の人は少ないのではないかと思いますがどうでしょうか?
そして本書の最後には御遺命の戒壇は
国民の総意が必要と書かれています
➂については
この顕正会の主張は日顕上人の考えと同意だと思われますがどうでしょうか?
④ については
だから日顕上人は
「もっと深い背景的意義を拝さないといけない」と言われているのではないでしょうか?
日顕上人は本当の御遺命の戒壇は
国民の総意で建立するものと指導されています
つまり国民の総意がなければ建立することが出来ない様になっている御遺命の戒壇なのに
御遺命達成の時に
不安と誤解を抱いている国民はいないと思いますが
どうでしょうか?
⑤ について
一応、一般の方が、本書を読んだ目線になって
私の反論は特におかしな部分はないのではないかと
何度も読み返しながら思っていますが
どうでしょうか?
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