有名な所では
昭和45年5月3日の創価学会第33回本部総会での
「国立戒壇の名称不使用宣言」
昭和45年5月12日の「時局懇談会」で
妙信講(顕正会)に対して
「国立戒壇とか国教というようなことは御書に全くない」
と仰せられた
その他いろいろあると思いますが
要するに
「御遺命の戒壇に関係する内容」の事ですが
この日達上人の指導を根拠として
各ブログを書いている人は
国立戒壇という名称は使わない
国立戒壇とか国教というようなことは御書に全くない
との主張を書いているのが現在の末端のブログを書いている方達の現状ですね
この事を当事者である日顕上人がどのように解釈されているのかが
重要なポイントだと思います
まず上記の日達上人の発言の経緯を、日顕上人は下記のように説明されていいます
(67p~73p)
*****************************************************
〇昭和45年4月8日
東京都知事から
「創価学会が主張している国立戒壇は憲法違反ではないのか?」
との問い合わせに対して
〇昭和45年4月22日
宗門の会合「時局懇談会」で
国立戒壇を主張している創価学会が東京都知事から
「憲法違反ではないのか?」との質問を受けていることに対して
日蓮正宗は緊急会議を開いた
その会議の結果「戒壇の御本尊様がまします所は、どこでも、どんな場所でも
事の戒壇との定義にしよう」
と決定した
しかし、日顕上人自身は
本当の事の戒壇は
『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇ではないのか?
と疑問はあったが
日達上人がそう言われるから・・・・
との趣旨が書いてあります
〇そして
昭和45年4月23日に創価学会は東京都知事に対して
本門戒壇を国立戒壇と言っていたが
それは訂正して民間で建てる正本堂が本門戒壇です
なので国家権力とは無関係です
と回答した
つまり正本堂も本門戒壇としてOKと日蓮正宗が許可してくれたとの理由付けが
創価学会にはある訳です
これが本書で書かれている
正本堂の意義付けという事です
しかし、これは浅井会長から
「国立戒壇を否定した、大変な間違いだ」との反対があった
(本書を読むとこの浅井会長の反対によって、創価学会は正本堂を御遺命の戒壇と言えなくなったとの趣旨が書いてあります)
だから
日達上人は昭和45年5月3日に
「国立戒壇の名称を使用しない」と宣言した
さらに妙信講に対して
昭和45年5月12日
「国立戒壇とか国教というようなことは御書に全くない」
との旨を言われた
との趣旨を話されています
****************************************************
要するに
昭和45年5月3日の創価学会第33回本部総会での
「国立戒壇の名称不使用宣言」
昭和45年5月12日の「時局懇談会」で
妙信講(顕正会)に対して
「国立戒壇とか国教というようなことは御書に全くない」
と仰せられた
との日達上人の発言は
日蓮正宗が自発で発言したのではなく
創価学会が東京都知事に回答する内容に合わせて
日蓮正宗もそれに追従する為に発言した
(創価学会からの圧力でそうさせられた)との
日顕上人が吐露されている部分だと思えます
つまり
創価学会の御遺命の戒壇論が正しいから
国立戒壇否定宣言をしたのではなく
当時、日蓮正宗は創価学会の意見に追従するしかない立場なので
創価学会に都合にいい解釈の宣言をしたとの内容に思われます
すぐに皆さんも、全文が読めると思います
講演をまとめると*****************************************************〇池田会長のおかげて日蓮正宗は、ここまで大きくなれました(この創価学会に対する服従の姿勢は全体の半分くらい占めているのではないでしょうか?
)
〇日蓮大聖人の御遺命は国教にするとは言われていないから「国立戒壇」という名称は不適当である
明治時代は「国立戒壇」という名称は一般的には理解しやすかったので、その名称を使っていた
創価学会も曽て「国立戒壇」という名称を使っていたが
それはしょうがない事です
そう言う訳で、世間の人が曽て創価学会が「国立」という
名称を使用していた事に対して悪口は言ってはいけない
〇本門戒壇の大御本尊安置の場所は
どんな所でも事の戒壇です
〇今、大石寺敷地内に建てている正本堂が
本門事の戒壇になります
〇今、世間の多くの人が池田会長の悪口を言っている
池田会長はその悪口を一人耐えていて
私は見ていて辛い
皆で池田会長を守ろう
*****************************************************
↑以上が現在の皆さんのブログの根拠となっている
「国立戒壇」「国立」の名称不使用宣言ですが
皆さんどう感じますでしょうか?
日顕上人は後日、本当の御遺命の戒壇は
国民の総意が必要と語られていますが
この日達上人の宣言で本当に「国民の総意」が得られると思うのでしょうか?
この様な創価学会と日蓮正宗の従属の関係から発せられている宣言に国民を納得させる効力はあるのでしょうか?
一般の方がこの宣言を読んだら
「これは宣言ではなく、下請け業者が元受け業者に述べる祝辞ではないか」
との意見がでるのではないでしょうか?
本文の中に「国立戒壇」「国立」の名称不使用の根拠が載っていますが
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】
を読んだ国民からは
どうせ創価学会に書かされたんでしょ
との感想を一般的には持つと思われます
つまり
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】を
日顕上人が書かれた理由は
正本堂の意義付けの告白と日達上人の宣言は不確定
との意思が見受けられます
そしてもう一つここに
本当の御遺命の戒壇のヒントが隠されていると思われます
それが、この宣言のなかで創価学会が日蓮正宗に圧力をかけて
御遺命の戒壇の定義を変更させた部分
つまり
「国立戒壇」「国立」の名称不使用
これは
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】を読めば
気づくと思うんですが
というか、日顕上人が気づくように書かれているんだと思いますが
実際は
「国立戒壇」「国立」の名称は
本来は日蓮正宗は使用しなければいけなかったのではないかと思われる
でなければ日顕上人がここまで正本堂の意義付けの
本質の部分を公表する訳がない
話はそれるが各ブログの方達が
日蓮正宗は御遺命を曲げていないと書いている記事は多いが
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】
がある限り
その主張は一般的には通らないと思われる
さらにもう一つ検証しなければならない大事な事があって
昭和45年5月3日の創価学会第33回本部総会での
「国立戒壇の名称不使用宣言」
昭和45年5月12日の「時局懇談会」で
妙信講(顕正会)に対して
「国立戒壇とか国教というようなことは御書に全くない」と仰せられた
この宣言は誰に対して宣言したものなのか
これは
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】に
書いてある通り
ずばり創価学会の為ですね
そして(67p)には妙信講(顕正会)に対して宣言した旨を吐露されています
つまりこの宣言は創価学会によって本当の御遺命の戒壇の定義を変更させられてしまった
そして、それに反対する妙信講(顕正会)に対して
宗規でもって口を封じる為と思われる
つまり、この宣言をする事によって
創価学会が安全に「正本堂」を本門戒壇
(創価は御遺命の戒壇と思っている)
の安全な道が確保された事になる
なので
各ブログの方達が思っているような
自分達が創価学会・顕正会を破折する為に残された
宣言などではないのは明らかだと思います
○(90p)には
日興上人の書かれた棟札が
文献的に確かではないことに触れて
文献的に確かなものでなければ用いてはならないと
戒められています
日顕上人は本書で
日達上人の当時の御遺命の戒壇に関する
(指導・宣言)に対して
正本堂の意義付けの為の、創価学会から圧力を書けられて言わされた内容
更に御遺命の戒壇に関する、日達上人の定義変更に対して
私は違うと思っているのだが・・・・
との趣旨を吐露しており
御遺命の戒壇に関する(指導・宣言)に関しては
日顕上人の考えの通り
確定でないどころか・御遺命の戒壇の定義を変更してしまったと
の趣旨を書かれているので
日達上人の(指導・宣言)を根拠とすることは出来ないのではないでしょうか?
○(53p)日蓮正宗としては
創価学会が昭和39年の時点で
戒壇建立をさげすんでいることを知っていたと記載されています
つまり
昭和39年の時点で既に
創価学会の御遺命の戒壇の定義は間違っていると
日蓮正宗は知っていたしかし
創価学会の圧力によって
正本堂を本当の御遺命の戒壇っぽくしてあげなくては
ならない状況だったと思われる
だから、最低でも昭和39年以降の創価学会に有利な
御遺命の戒壇の定義は
日蓮正宗のリップサービスとみて
いいのかなと思われる
以上
日達上人の、御遺命の戒壇に関する宣言は
当時の状況からして
全く根拠にならないと思われますが
どうでしょうか?
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