2022年10月10日 Michaelshackson様への御返事

旭川とか言う如何にも顕正会員らしき人物からDMが来た | Michaelshacksonのブログ (ameblo.jp)

私の送信ミスだと思うのですがMichaelshackson様に私の御返事が届いてないようなので
2023年5月25日に下記の内容を
Michaelshackson様のブログ内に掲載されているメールアドレスと、ブログのコメント欄に下記の内容を送らせて頂きました


 

 

Michaelshackson様、御返事の掲載ありがとうございます

【顕正会 元隊長 以下5名 一斉脱会について】

分かりました
顕正会元隊長以下5名は樋田さんの説明を聞いて納得し、顕正会が邪教であることに気付いた上で自らの意思で顕正会脱会・日蓮正宗入信したのですね

 

【貴方自身が顕正会員でしょう?について】

それと、貴殿は元 創価学会の一般人と表記されておられますが、貴方自身が顕正会員でしょう?
もしそうじゃない一般人なら、「国立戒壇」とか「御遺名」とか「御遺名の戒壇」言う言葉すら思いつかないし、顕正会の内部に居る人間しか分からないもの。それと、

 

 

 

このブログの記事にある、

「顕正会の大きな会合とか後は、日曜日の朝の集会とか普通は顕正会が集まる時間帯でも私は、いつでも電話に出れます。電話でなくても平日の日中仕事している時間以外の時間帯なら言って貰えれば、メールのやり取りをずっと出来ます

なんで顕正会員の普段の行動まで細かく知ってるんだよ?

普通の常識ある一般人はそんな行動知らない。知ってるとすれば、現役の顕正会員か、元顕正会員の一般人か元 顕正会の日蓮正宗法華講員しか把握してない。

違うか?御仁。

Michaelshackson様の言葉を真似させて貰えば
「何故、そう言い切れる?」
に尽きると思います
私は(法華講員の方達・顕正会から宗門に入信した方達・現役の顕正会員)
のブログをよく拝見します
その記事の中で、元顕正会員だった人達や・現顕正会員の方達が日曜日の過ごし方について書かれているブロブの記事を何度か拝見しました
そのような記事の内容を参考にしました
(だから、実際とは違っている可能性もあります)
後は・もしそうじゃない一般人なら、「国立戒壇」とか「御遺名」とか「御遺名の戒壇」言う言葉すら思いつかないし、顕正会の内部に居る人間しか分からないもの
なぜ言い切れるのでしょうか?
いろいろな方のブログを読めば知識も付きますし
私はブログ内でネットで顕正会の書籍を購入して読んでいると言ってますし
様々な法華講員の方達に質問をして教えて貰っておりますので
知識もついてきているのかなと思っております

 

 

【事の戒壇はやはり広布の暁に建つべき について】

確かに「広宣流布の暁」についての説明が動画の中で触れられてますね
失礼致しました

動画を拝見いたしまして、改めて教えて頂きたいことがあります

広布について「流行」と「流溢」の区分けも一往存するけれど、社会・国家・世界がそれぞれその大勢において遍く妙法の化に霑うときは、その場における「流溢」の公布といえよう。

それまでに至る道程は「流行」というべきであるが、そこに明確な区別はあるべきでない。

「流行」のなかに「流溢」もあり、「流溢」の先に「流行」もある
要は無令断絶の鳳詣のごとく、末法万年において絶対に流布を断絶せしめなくてはならないのである。

南無妙法蓮華経がどこまでも流れ行じて止まぬという、本因妙仏法の大確信こと肝要である。

要するに大聖人の御遺状にもとづく大本門寺の実現を目ざして広宣流布することが専一である。

(『日蓮正宗略解(初版)日蓮正宗宗務院・昭和48年10月12日)

日本国全人口の3分の1以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純粋な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、その時こそ、日本国一国は広宣流布したと申し上げるべきことであると思うのであります
(第66世日達上人・昭和49年11月17日)

要するに広布については
「流行」と「流溢」の区分が一往あって
「流行」というのが、この世が末法である間は、まだまだ折伏しなきゃいけないという意味で
「流溢」というのが、上記の日達上人の指導の通り、日本全人口の1/3以上の人が純真な、確実な信心をもって本門の題目を唱え奉る状況になった時に、その時の猊下が日本国は広宣流布したと認めるとの内容

との解釈で宜しいでしょうか?
もし、私の解釈が間違っているようなら指摘して下さい

【顕正会は昭和49年に「日蓮正宗 富士大石寺」から破門された邪宗教 について】

しかし、宗門が正本堂の意義付けをする際に御遺命の戒壇は広布完成前に建ててしまってもよいと

決めてしまったことを含め、顕正会は御遺命違背と主張しているのではないでしょうか?


        ↑
何故、顕正会ごとき輩に一々決められなきゃいけないのか?
第一、顕正会員からしてみれば全く関心無い話しじゃございませんの?だって、顕正会は昭和49年に「日蓮正宗 富士大石寺」から破門された邪宗教なんだから。

つまりこの段落でMichaelshackson様が言わんとされていることは
顕正会は宗門から破門されているから、宗門に対して意見を言うべきではないとの内容で宜しいでしょうか?

顕正会員が関心があるか・ないかは分かりません
(多分関心があると思っています)
私は関心があります

私は宗門は御遺命に関しての定義を変更してしまったと思っておりますがどうでしょうか?

 

【妙信講(顕正会)は正本堂にて御開扉を願い出た について】

我々日蓮正宗の檀信徒にとって、広宣流布の御遺命の真義を御存知なのは御歴代御法主上人のみである。
と言うことは、浅井会長の「御遺命守護の戦い」そのものは全くのデタラメと言う事になると思いませんか?それに現在の顕正会は「宗門は正本堂を御遺命の戒壇であると断言した」 と主張し、最近では正本堂のことを 「偽戒壇」 と呼んでいますが、顕正会が妙信講時代に正本堂

妙信講(顕正会)はその正本堂においてさえ御開扉を願い出ています。

▼「御遷座の翌年五月、妙信講は久々の御登山を総本山に願い出た。
『日蓮大聖人の仏法 改訂版』 255ページ


戒壇の大御本尊が正本堂に御遷座された翌年の昭和48年に、妙信講が正本堂にて御開扉を願い出たことを証明するもの。

すると、浅井氏は 「ニセ戒壇」 である正本堂での御開扉を願い出たことになります。
この矛盾をどう説明するのでしょうか?

つまりこの段落で
Michaelshackson様が言わんとされていることは
浅井会長は正本堂を「ニセ戒壇」 と言っているのにも関わらず、その正本堂に御開扉を願い出ているのだから矛盾している
ということで宜しいでしょうか?

この上記の内容は、さまざまな法華講員の方達のブログでもよく取り上げられてる内容だと思います

私が思うに、顕正会(妙信講)は正本堂に行くことを主目的にしている訳ではないと思います
確かに、正本堂に行くことが目的なら、矛盾していると私も思います

しかし、顕正会(妙信講)は正本堂の中に御安置されている戒壇の御本尊様に(御目通り・会いに行く)が目的だと思います

分かりやすく言えば、正本堂に戒壇の御本尊が御安置されてなければ、顕正会(妙信講)は正本堂には行かないと思います

矛盾という言葉は当てはまらないと思いますがどうでしょうか?

 

先にも記述したが、ここで『御遺命の真義(本当の意義)』 を唯授一人の相伝で受け継いでいる方は誰なのか?
御遺命の真義を御存知なのは御歴代御法主上人のみではないでしょうか?

御遺命の真義を御存知なのは御歴代御法主上人のみなのですね
分かりました
では何故、御遺命の真義を御存知なのは御法主上人だけなんですか?

私達一般人が御遺命の真義を知ると何の不具合が出るのですか?

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教えて頂けると有難いです

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お忙しいところ恐縮ですが
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2022年10月10日
旭川

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