2023年3月2日 元隊幹事様への御返事

【1】浅井会長の「国立戒壇」は本物か? – 元隊幹事の顕正会ブログ 活動歴30年ーなぜ顕正会を捨てたのか。 (goo.ne.jp)

上記のブログのコメント欄に書かれている、元隊幹事様からの御返事に対してメールを送りました


 

 

元隊幹事様
ご返事ありがとうございます。
A氏ではなくて、旭川との名前でブログに書かれて構わないです
その方が分かりやすいので

【大聖人様は、広宣流布達成以前の国家形態に合わせて、「勅宣」「御教書」を解釈せよ、などと仰せにはなっておられません。御書にあるならその明文を示して下さい。について】

 


大聖人様は、広宣流布達成以前の国家形態に合わせて、「勅宣」「御教書」を解釈せよ、などと仰せにはなっておられません。御書にあるならその明文を示して下さい。との事ですが
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】
から日顕上人の指導を確認すると
〇(64p)
あくまでも御遺命の戒壇は
現在の憲法下で考えるべきとの趣旨を話されています
〇(98p)
王法や勅宣・御教書に対する解釈は
現代的な拝し方をしなければならない
〇(99p)
現在の憲法下では「国立戒壇」は建てることはできないけど
将来
民主主義の形だって憲法だってどう変わるかわからないではないか
との趣旨を書かれています
以上の
日顕上人の指導を読む限り
大聖人様は、広宣流布達成以前の国家形態に合わせて、「勅宣」「御教書」を解釈せよ、などと仰せにはなっておられません。
とブログに書かれる方の主張は日顕上人の指導からして間違っているのではないでしょうか?

①A氏は、
日顕上人の御指導を『のような趣旨・・』と繰り返しますが、
『のような趣旨』は、“明文”ではありません。【近現代における戒壇問題の経緯と真義】の64頁、98、99頁を全文読んで頂ければ、A氏の言うことが全くの筋違いであることがわかるかと思います。
「御遺命として我々にお残しくださった 三大秘法抄 一期弘法抄 の「戒壇」の文については、軽々に論ずべきではない」(P99 L1~2)
「戒壇というのは事相だということを、大聖人もおっしゃっておりますように、事相なのだから、実際の相というものはその時でなければ明確には顕れません。
②よって三大秘法抄 一期弘法抄 の戒壇ということは、まさにその時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります」(P99 L6~10)
と明確に日顕上人猊下は御指南されております。A氏のメッセージように
“一を三と読む”ようなやり口は、
浅井昭衛氏と、よく似ていると言わざるを得ません。
①について確認があります

辞書を調べると明文とは
文章にはっきり書き表すこと。また,その文章。
筋のとおった文。

とのことでした
つまり、元隊幹事様が言わんとされていることは
旭川の主張は文章にはっきり書き表されていない
との内容でよろしいでしょうか?

更に“一を三と読む”ようなやり口は、との内容は
要するに日顕上人の言わんとしている内容とは全く違う解釈をしている
とのことだと思います

では
「近現代における戒壇問題の経緯と真義(60p)」
たしかに明治欽定憲法の時代だったならば、そういう可能性もあっただろうけれども、今の憲法下では絶対にありえないことです。まして天皇の国事行為は憲法に規定されていて、こと宗教に関する限りにおいては全然、法律で定められた権限がない。政教分離がきちんと決まっているのだから、そういうことは、今の憲法下においては絶対に無理なのであります

御書に書いてあるのか、ないのかは分かりません
しかしながら、上記の日顕上人の文章はどうでしょうか
非常に分かりやすく書かれていると思っておりますが
ここでは、その時代の政治体制によっては、そういう(国立戒壇)の可能性もあると書かれていると思います

つまり広宣流布達成以前の国家形態であったとしても、国立戒壇の可能性があるときもあるし、絶対に無理な時もあると、ある程度は判断できるのではないでしょうか?

また、その時の憲法によっても国立戒壇は無理か無理じゃないかを判断できると思うのですが

どうでしょうか?

更にもう一つ疑問があります
「近現代における戒壇問題の経緯と真義(98p)」
あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで、「建築許可書」というようにも書いてしまってある。これは当時の在り方のおいて、学会からの具体的な勧誘もあり、私がそのように書いてしまったのです。

日顕上人は広宣流布達成以前にもかかわらず「勅宣」「御教書」を解釈されていますよ

②についてお伺いがあります
元隊幹事様はの文章をもって明確に御指南されていると書かれておりますが
この文章を一言で表すと
御遺命の戒壇は未来のことだから分からない、口答えは許可しない
という内容だと思えますがどうでしょうか?
私の質問を打ち消す内容ではないと思いますが
それに、「私どもは信ずべきであると思うのであります」と書かれていますから
明確というより展望の意味合いが強いのではないかと思います
要するに未来の御法主に任せます、との内容だと思います

 

それにこの文章はあやふやな表現がかなり含まれていると思います

まず、「まさにその時が来た時に」とはどんな時なのでしょうか?
曖昧でよく分かりません

「その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、」
その時の実状に即した形とは、どんな形なのでしょうか?
この文章だと要するに、その時の御法主のニュアンスで最終の戒壇を建立していいことになると思いますがどうでしょうか?

全国民が戒壇の御本尊様を信じないと、最終の戒壇を建立しないと考える御法主もいれば
90%以上ならOKとの方もいるでしょうし
30%以上でもOKとする方もいると思います
その時の御法主のニュアンスで最終の戒壇建立が決まることになると思いますが、それでもいいんでしょうか?

このような、あやふやな文章内容がなぜ
明確な御指南になるのでしょうか?

 

日蓮大聖人の御法門は、日蓮正宗の信仰を正しく行じ、下種三宝尊を信じて初めて学べるものと思います。
A氏は、“どこの団体にも所属していない”とのことですが、メッセージの内容は日顕上人への誹謗そのものです。自分の邪見、我見を捨てて唯一成仏の叶う日蓮正宗に帰依し、正しく信心を始められるよう願っております。
(日蓮正宗信徒元隊幹事)
私も、皆さんと同じように成仏したいとの思いは当然あります
ですから、正しい団体には当然所属し連なって行きたいと思っております
しかしながら、日蓮正宗は疑惑が山ほどあると思っております
これは予想で言っているのではなく、法華講員の方達に(取材、討論)を通じて
思いから、確信へと変わりつつあります
恐らく、元隊幹事様とのやり取りを通じても、この疑惑は更に深まるものと予想しております
そして私の疑問は本当に邪見、我見なのか?
どの部分なのか、今後納得出来るように解説して頂けるとありがたいです

本当に全国民は、日蓮正宗の発信する御遺命の戒壇論に関して何も疑問に思わないのか?
今後、この問題には全国民の是非を問うて行こうと思っております
寧ろ、私と同じ意見・疑問を持つ人達が実際には多いのではないかと思っております

以上が私からのご返事です
元隊幹事様の御見解をお聞きしたいのでよろしくお願いします
旭川

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