斎藤英通さんにXにて下記の御返事を送りました
国立とは、国家が建て国家が運営する。御書には、国主とありますから、国家ではありません。以上終わりじゃないですか?
後、何年後か?御書に書いてませんし、貴方歴代上人の書を何一つ知らないじゃないですか?
そもそも、歴代上人が国立を言ったのは、揶揄であり、国家が建立し、運営する戒壇を建立とは、言われた事が無い。あるなら出してください。
御書に国営の戒壇とは、書いてません。
国主此の法を立てるなればなので、あくまでも法を立てるのであって、国営の意味たる国立では無い事は、御書で明らかです。
広宣流布はいつか?御書に書いてません。更に、日本国内だけの広宣流布とは言われてない。
一天四海広宣流布なので、日本国内だけの広宣流布ではありません。
二祖日興上人は 「広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てらるべきなり」(門徒存知事)、■ 五十九代日亨上人は 「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華十一号)、 「唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝) 歴代上人一部出しました。何処に日本国内だけの広宣流布とあるのでしょうか? 更に将来に属するのですから、百年か?千年か?万年か?分かりません。
何処にも書いてませんし、歴代上人は言われてません。
よって、御書からも歴代上人一部出しましたが、全く貴方の考える国立戒壇は無いと言えます。
以上返信不用。
一億回読んでDMしなさい。
〇解答してますよ?
ではないんですよ
斎藤さんは質問の意味が分かっていないようです
斎藤さんの回答は全て斎藤さんが思う、国立否定の論拠なんですよ
そうではなくて、実際には御書に書いてなくても建築されている建物はあります
この段落の質問は、国立か国立じゃないかとの内容ではいんですよ
ですから国立ではないとの類の回答は乖離してるんですよ
御書にない=建てることは出来ない
という定義の整合性を論理的に説明して欲しいとの依頼です
※6回目の依頼です
〇さて本題に入りますが
だれも日本国内の広宣流布などとの発言はしておりません
斎藤さんの上記の回答は要するに
「国家事業というのは御書に書いてないし、過去の日蓮正宗の歴代上人も言っていない」
と言うことですよね
それらは全て、自己申告なんですよ
それに伴って、広宣流布はいつまでとか、信心のレベルとか規模とかも何も御書には書いてないとの主張ですよね
例えば昔は合法だったからとの論理を持ち出して
現代にも当てはめるのは説得力がないではないですか?
この道理が分かりますか?
広宣流布は未来の話なんですよ
広宣流布までの規模・期間をアバウトにしてしまっては議論が進みません
現在の世界情勢からして広宣流布をのんびり考えてる場合ではないと思いますよ
日蓮正宗の書籍では度々「国民」とのワードが出てきます
斎藤さんはこの「国民」をどう考えてますか
日本人ですか
それとも日本人ではなく他の国の人達ですか?
それとも世界中の人々の総称ですか?
回答お願いします
どんどん、この議論の核心に迫りましょうよ
後一つ気になったのは
貴方の考える国立戒壇は無いと言えます。
との斎藤さんの発言ですが
私の考えだろうが、違かろうが
結局、国立戒壇の可能性はあると言うことですよね
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