国立戒壇に関する調査報告書 旭川様への回答その⑤ | 諸宗 破折 (ameblo.jp)
読ませていただきました。
質問に対する回答がわかりやすいように
旭川様の文は青文字とさせていただきます。
日蓮大聖人の御遺命に関わることなのに
七百数十年の日蓮正宗の歴史の中で一人でも
(御影堂が御遺命の戒壇です!)とズバリ言い切っている方はいないのですか?
のご質問は何度も答えてますが
日興上人の日興跡条々事の
「大石寺は御堂といい墓所といい日目これを管領し修理を加え勤行を致して広宣流布を待つべきなり」
日精上人が御影堂を「本門戒壇本堂」といわれてることです。
もう一度、鬱将軍様の主張を確認させて下さい
御影堂が『三大秘法抄』『一御弘法抄』に示される御遺命の最終戒壇ということで宜しいですね
御影堂が『三大秘法抄』『一御弘法抄』に示される御遺命の最終戒壇ということで宜しいですね
次に本門の戒壇と言っても
直ちに御遺命の戒壇ではないという指摘ですが
これはかつての正本堂や奉安殿
現在の奉安堂を指して 本門の戒壇であるが
御遺命の戒壇ではないということです。これは日寛上人が
寿量品談義に「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ。」
と、仰せです。(富士宗学要集十巻頁131)
しかし今論じてるのは御遺命の戒壇ですから本堂たる御影堂は該当しません。
未来の戒壇が御遺命の戒壇だというのは
日顕上人が三大秘法義に言われる
「広布の暁に本門戒壇の大御本尊まします本堂がすなわち事の戒壇の意である。」
という事であり
僕の質問である
本門戒壇本堂とある堂宇を無視して 別に堂宇を建てる論拠
にはなりません。
未来に大石寺本堂である御影堂に本門戒壇の大御本尊を安置しても成立します。
そもそも一期弘法付属書は
日興上人が賜った御付属です。
故に本門戒壇を建てるのは
他の誰でもなく日興上人です。
その日興上人が創建されたのは本堂は御影堂なのですから 御影堂以外に有り得ないのです。
もしも御遺命の戒壇を別に建てるということは
日興上人以外が建てることになり
日蓮大聖人の御遺命の戒壇にはなりませんよ。
それとも日興上人以外の人物が建てても御遺命の戒壇と言える論拠があるのでしょうか?
あるのでしたらお答えください。
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