【1】浅井会長の「国立戒壇」は本物か? – 元隊幹事の顕正会ブログ 活動歴30年ーなぜ顕正会を捨てたのか。 (goo.ne.jp)
上記のブログ内のコメント欄にて元隊幹事様からの御返事がありました
メッセージへ返答 (元たいかんじ)2023-02-23 23:08:27先日ある方から
メッセージをもらいましたので、返答させて頂きたいとおもいます。
ある方を仮にA氏と呼びます。
メッセージ(『』内)は次の通り、
『
大聖人様は、広宣流布達成以前の国家形態に合わせて、「勅宣」「御教書」を解釈せよ、などと仰せにはなっておられません。御書にあるならその明文を示して下さい。
との事ですが
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】
から日顕上人の指導を確認すると
〇(64p)
あくまでも御遺命の戒壇は
現在の憲法下で考えるべきとの趣旨を話されています
〇(98p)
王法や勅宣・御教書に対する解釈は
現代的な拝し方をしなければならない
〇(99p)
現在の憲法下では「国立戒壇」は建てることはできないけど
将来
民主主義の形だって憲法だってどう変わるかわからないではないか
との趣旨を書かれています
以上の
日顕上人の指導を読む限り
大聖人様は、広宣流布達成以前の国家形態に合わせて、「勅宣」「御教書」を解釈せよ、などと仰せにはなっておられません。
とブログに書かれる方の主張は日顕上人の指導からして間違っているのではないでしょうか?
』
A氏は、
日顕上人の御指導を『のような趣旨・・』と繰り返しますが、
『のような趣旨』は、“明文”ではありません。
【近現代における戒壇問題の経緯と真義】の64頁、98、99頁を全文読んで頂ければ、A氏の言うことが全くの筋違いであることがわかるかと思います。
「御遺命として我々にお残しくださった 三大秘法抄 一期弘法抄 の「戒壇」の文については、軽々に論ずべきではない」(P99 L1~2)
「戒壇というのは事相だということを、大聖人もおっしゃっておりますように、事相なのだから、実際の相というものはその時でなければ明確には顕れません。
よって三大秘法抄 一期弘法抄 の戒壇ということは、まさにその時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります」(P99 L6~10)
と明確に日顕上人猊下は御指南されております。
A氏のメッセージように
“一を三と読む”ようなやり口は、
浅井昭衛氏と、よく似ていると言わざるを得ません。
日蓮大聖人の御法門は、日蓮正宗の信仰を正しく行じ、下種三宝尊を信じて初めて学べるものと思います。
A氏は、“どこの団体にも所属していない”とのことですが、メッセージの内容は日顕上人への誹謗そのものです。自分の邪見、我見を捨てて唯一成仏の叶う日蓮正宗に帰依し、正しく信心を始められるよう願っております。
(日蓮正宗信徒元隊幹事)
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