『「御戒壇説法」について』(その①)

さて現在、大石寺にある奉安堂にも、日達上人の時と同じように「御戒壇説法」があります

昔は登山に来た人には全員「御戒壇説法」をしたのです

そして日開上人から日恭上人のころの「御戒壇説法」のかなには

「この所すなわちこれ本門事の戒壇」という御文はありませんでした

ところが先ほど話したように、私と観妙院日慈上人が宗務院の役員として

日達上にに伺った時には、日達上人が御先師の説法本をお示しになり

そこには「この所すなわちこれ本門事の戒壇」というお言葉があったのです

それから日開上人の弟子で奥法道師の写本のなかに
日開上人の「御戒壇説法」というものがありそのなかには、ちゃんとその文がある

ところが、またおもしろいことに、日開上人が当職の当時は

「御戒壇説法」を金銀の扇子にずっと書かれていたが

そこには先程の御文はなかった

私も小僧のころ聞いたけど「本門戒壇」ということはたしかにありませんでした

また御先師の日應上人の「御戒壇説法」にもないのです

だから、いつ、どこで、どなたが、どう始められたかは判らないが

60世の日開上人の写本としてはあったのです

もう一つは、日達上人が我々にお示し下さった

御先師の御説法本のなかに、それがあるということです

また日達上人のあらゆる点からの御指南から言っても

本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇という御指南は

たしかにそのとおりだと思います

上記の段落は日本語としてかなり解読不可の部分が多いですね

それは日達上人への配慮と日顕上人の本音と

正本堂建設に関係者と正本堂の意義付けの部分を言いたい本音と

さまざまな事情があることを読み取らなくてはなりません

この段落では2つポイントがあります

本書では、日顕上人は日達上人の御指導は間違っているのではないか?

との疑念を持っていたが

その当時はそういう空気だったと、当時の心境を吐露されています

そして日達上人が亡くなって、日顕上人の代になったときも

日達上人が言われた正本堂の意義付けに使われた、「御遺命の戒壇論」を

引き続き言う必要があったと吐露されています

それを踏まえて

①一つ目のポイントは

「創価学会と妙信講への宗門の対応」を学ぶ(その15) 

ようするに日顕上人は本当の事の戒壇は

「三大秘宝抄」「一期弘法抄」の内容だとあくまでも思っているということですね

日達上にが示された「御戒壇説法」というのは

だから、いつ、どこで、どなたが、どう始められたかは判らないが

と表現されています

要するに日顕上人の本音は「御戒壇説法」の内容自体が当時

「正本堂の意義付け」の為、御遺命の戒壇の正義が書き換えられて部分だと

物語っているものと思われます

②二つ目のポイントは

「妙信講(顕正会)の処分について」(その3) 

以前ブロブ内で書きましたが、日顕上人は文献的に確かなものがない以上

参考資料としてはダメと言われています

要するに、日顕上人の本音は「御戒壇説法」というのは

だから、いつ、どこで、どなたが、どう始められたかは判らない

だから参考資料にしてはダメと言われていますね

しかしながら、皆さんがのブログ内をみると

日達上人が書かれた「御戒壇説法」が事の戒壇の定義の判断基準です

みたいなブログばかりですね

この部分についても、今後皆さんに質問して行こうと思います

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