旭川

顕正会を検証する会議事録

「顕正会を検証する会議事録」 管理人様へのお伺い

「顕正会を検証する会議事録」 管理人様動画拝見させて頂きました私、御遺命の戒壇について調査をしている旭川と申します顕正会を批判している記事・動画を沢山見かけますが教義上何が間違っているのかお聞かせ頂けませんか?
蓮華倶楽部

国立戒壇に関するお伺い

こんにちは蓮華倶楽部 管理人 様私は、「国立戒壇」に関して調査を行っている旭川と申しますサイトの方読まさせて頂きましたそこでお聞きしたいことがあるのですが記事の中に国立戒壇に固執と書れおりますが国立戒壇の何が問題なのでしょうか?
法蔵

2023年7月5日 法蔵 管理人様への御返事

これは、前にも述べましたが、国費で建設する問題(謗施)、さらに、国立でありながら謗法の国民は参詣できないという問題(謗法厳誡)。 現実には、ほかにも色々と起こってくると思います。こういうと、あなたは、例のごとく、色々な可能性を空想的に述べて反論するのでしょうが、将来の希望的予測を持ち出さないと擁護できないような戒壇論であること自体、法華講員の批判の材料となるでしょう。
法蔵

2023年7月3日  法蔵 管理人様からの御返事

現在の「国立」の意味から考えられる国立戒壇では、色々と(御遺命に関する以外の)教義上の問題点があり、とても、ベストの選択とは思えません************************************************************ その教義上の問題点とはどのようなことでしょうか?---------------------------これは、前にも述べましたが、国費で建設する問題(謗施)、さらに、国立でありながら謗法の国民は参詣できないという問題(謗法厳誡)。
顕正会事件簿&破折資料管

2023年7月3日  破折資料室 作者 辻野様への御返事

辻野様、御返事ありがとうございます私に対する様々な心遣いありがとうございますしかしながら、私個人への詮索はそろそろ終わりでいいのではないでしょうか辻野様はご自身のブログで本門戒壇の大御尊様所住であれば、どこでも事の戒壇と言えると公開している私は、本門戒壇の大御本尊様所住であっても事の戒壇とは言えないと
顕正会事件簿&破折資料管

2023年7月3日 破折資料室 作者 辻野様からの御返事

ネット討論ならやりたいけど対面での討論は遠慮されたいとのこと。ならばお互いの希望が合いませんので、残念ながらこの討論は不成立ということになるかと存じます。 仏法は、文字だけ読んで学ぼうとしていては絶対にダメです。創価学会の池田名誉会長も顕正会の浅井会長も、お寺にはロクに通わず、慢心を起こしてお寺の御住職様の御説法を拝聴せず、ただ本だけを読んで教えをつまみ食いしながら己義を組み立てていった結果、どんどんおかしな方向へと逸脱していってしまいました。このままでは旭川様もその轍を踏んで一生虚しく過ごす結果になるかと存じます。
法蔵

2023年7月2日 法蔵 管理人様への御返事

あなたは、日顕上人の考え方に従うのですか?そうであれば、将来のことを、あれこれ想像してまでして、国立戒壇の可能性を主張することはできないと思いますが、 また、日顕上人を正師と仰ぐ法華講員に対して国立戒壇の可能性を質問しても、あなたが期待するような回答は得られないでしょう。
法蔵

2023年7月2日 法蔵 管理人様からの御返事

あなたは、日顕上人の考え方に従うのですか?そうであれば、将来のことを、あれこれ想像してまでして、国立戒壇の可能性を主張することはできないと思いますが、また、日顕上人を正師と仰ぐ法華講員に対して国立戒壇の可能性を質問しても、あなたが期待するような回答は得られないでしょう。
法蔵

2023年7月2日 法蔵 管理人様への御返事

管理人様の気持ちは分かりますしかしながら、上記の内容は私の個人的な考え方ではありません 『三大秘法抄』『一期弘法抄』の「戒壇」の文については、軽々に論ずべきではないと思います。もちろん今、ある時点を予測して考えれば色々なことを言えるけれども、将来どう変わるかということは本当に判りません。だいいち、日本の現在の民主主義の形だって、憲法だって、将来どう変わるか判らない。だから、そんなことに関して今、具体的な形で言う必要はないのです。 (近現代における戒壇問題の経緯と真義99p)管理人様においても、いろいろ文句はあると思いますが、日顕上人は将来の御遺命の戒壇について具体的な形で言う必要はないと言われているので日顕上人の考え方に合わせるしかないと思います・・・
法蔵

2023年7月2日 法蔵 管理人様からの御返事

国立戒壇の主張は、現在行われているのですから、「国立」の意味についても、現在通用しているものを前提として行うべきであります。現在の「国立」の意味を前提とした国立戒壇が、可能かどうかを議論すべきであります。将来は「国立」の意味も変わるといって、国立戒壇を肯定する論法でいけば、如何なる主張も否定できなくなってしまいます。それでは、議論の余地はないでしょう