「創価学会と妙信講への宗門の対応」(その7)

そのころ池田会長は、正本堂をずばり三大秘宝抄の御遺命の戒壇だと言っていた
それに対して浅井会長から横槍がたくさん出た
浅井会長は捨て身の考え方で抗議したことは言える

そのころというのは、正本堂が建つ前ですね

浅井会長からの、たくさんの横槍と書いてありますが

他のカ所では抗議と書いてあるので、浅井会長がたくさんの抗議をしたという事ですね

日蓮正宗が創価学会から圧力をかけられて、正本堂を御遺命の戒壇にせよと強要されていた時に

浅井会長が間に入って抗議したというのは、他の段落で何か所も出てきますね

だけどこの後の段落では浅井会長は抗議はしてくれたけど

田中智学の主張する「国立戒壇」と同じだからダメなんだと言われてます

ただ私が本書を読む時に大事なこととしていっている

正本堂の意義付けとの問題がここで出てきています

つまり、正本堂を本物の御遺命の戒壇っぽくしてあげる為の理由づけですね

その為に、浅井会長の名前を拝借していると思われます

本当に日顕上人が浅井会長の言っていることがデタラメと思っているなら

捨て身の考え方で抗議したということは言える、なんて書くわけないじゃないと思います

浅井会長の(捨て身の考え方)の抗議が正論だからこそ言った言葉と十分解釈できます

この後の文章は正本堂の意義付の部分になるので

(その8)でまた続き書きます

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