『国立戒壇論の誤りについて』『本門事の戒壇の本義』の二書と、戒壇の御門について(その①)

私が教学部長時代に書きました

『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』
という本があります

そのなかに、正本堂は公布の時に

『一期弘法抄』『三大秘宝抄』の戒壇となる建物だというように

その時はそう思って書いたけれども、現在においては不適当であると

ここではっきり言っておきます

その時はそう思って書いたけれども

とは、どういうことかと言うと

本書を読めば創価学会の圧力によって

「正本堂を本当の御遺命の戒壇にせよ」と強要され本物の御遺命の戒壇の定義を変更した
ということですね

だから

『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』の当時の2冊の本は

現在においては不適当であると、ここではっきり言っておきます

とはっきりと断言しています

この段落だけ見ても『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』

の2冊の本は、当時

創価学会の圧力と強要によって書かされた、デタラメな教義の本ということが分かります

更に、日顕上人はこの段落で

『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』という本があります

と紹介していますね

よく皆さんのブログのなかで

当時の2冊の本は「勉強に使えるとか、日顕上人がみんなに学んで欲しくて書いた」

という主張をしますが

日顕上人が本当に当時の2冊の本を学んで欲しかったら

という本があります、と言う訳がないです

どこを、どう解釈するとそんな解釈になるのか、まったく不明です

今後は、この段落についてもブログをやっている人達に質問していこうと思います

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