2022年6月30日 鬱将軍様への御返事

国立戒壇に関する調査報告書 旭川さんへのご返事② | 諸宗 破折 (ameblo.jp)

「宗門が従来からの御遺命の戒壇建立の定義の
御遺命の戒壇は広宣流布後に建てること
勅宣・御教書の現代的な拝し方をすることを
変更してしまった」という点ですがこれは
従来から本門戒壇と称している堂宇は広宣流布以前にも建立しているから 御遺命の達成のゴールにはならない
上記の内容を読んで
私の言っている(御遺命の戒壇)と鬱将軍様が言わんとされている「本門戒壇」の
解釈がかみ合っていないと思ったので
ここで一度整理しても宜しいでしょうか
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」(64p)
戒壇という意味は、その前やあとに付く言葉によって色々に解釈できるわけです
「本当の御遺命の戒壇」「最終の本門戒壇」と言う場合とは意味が違うでしょ。
————-中略———–
「本門の戒壇」と言っても、それが直ちに『三大秘法抄』『一御弘法抄』に示される御遺命の最終戒壇だということではない意味もあります
日顕上人は「本門の戒壇」の記載だけでは、御遺命の最終戒壇との意味としては通じないと説明されていますので
私の言う御遺命の戒壇とは
『三大秘法抄』『一御弘法抄』に示される御遺命の最終戒壇
として論じております

だから最終のゴール地点の例えをしているのです

鬱将軍様の文面を見ると途中の戒壇として認識しているように思われます

ゴールというのはその堂に本門戒壇之大御本尊を安置し扉を開くことであります。
そのゴール地点が
広宣流布前に戒壇を建ててよいとか
建築許可書があれば戒壇を建ててよい
との御遺命の戒壇の定義を変更したことによって
ゴール地点がなくなってしまったということです
長くなってしまいましたが 日蓮大聖人が相伝し、日興上人が創建し、古来は本門戒壇之大御本尊を安置いた。 多くの御法主上人が修理を加えた御堂である御影堂が御遺命の戒壇ではないでしょうか?

まず私は様々な御遺命の戒壇論を調査してきましたが
御影堂が御遺命の戒壇と主張する方を見たことがないのですが
鬱将軍様以外に誰が同じ主張をしているのでしょうか?

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」(64p)
一天広布にによる御遺命の実現へ
———–中略———–
将来、1日に2万、3万、5万以上の大勢の人が総本山に参拝するような形があると、大聖人様の御仏意の上から一往考えるならば、奉安堂は小さいものだとおもうのです
だから、その時になればまた、建築技術も進展しているでしょうし、いくらでも大きい物を造ればよいのです

日顕上人は将来の御遺命の戒壇の建物は現時点では決めない方がいいとアドバイスされています
理由は、その時になれば建築技術も進展しているし
(後は、今より人口が多くなっているかもしれないし、逆に極端に少なくなっているかもしれないとの理由も十分含まれていると思われます)

だから、日顕上人は今の段階で御遺命の戒壇の作り方とかサイズは決めない方がいいとアドバイスされているので
御影堂は対象外と思われます

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宜しくお願い致します

2022年6月30日
旭川

 

 

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