2022年7月7日 鬱将軍様への御返事

国立戒壇に関する調査報告書 旭川様への御返事その④ | 諸宗 破折 (ameblo.jp)

 

1つ目 日顕上人は①勅宣並びに御教書についての現代的な意義の話をしているのであって
御遺命の戒壇の現代的意義の話ではありません。
というか御遺命の戒壇に現代的意義なんてものは存在しないからです。
②勅宣というのは天皇陛下からの命令ですが 現代において
天皇陛下が勅宣を出されることはありません。
また御教書は幕府からの命令ですが 現代では軍事政権の幕府は存在せず
文民が統制している政府が政治を主導しています。
その政府から軍事政権の御教書が出ることは無い。
ここにおいで 勅宣、御教書の
現代的意義が必要となります。
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」(98p)

あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する当時の在り方において、学会からの具体的な勧誘もあり、私がそのように書いてしまったのです。けれども今考えてみると、やはり今は、勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても、そういう軽々しいものとして考えるべきではなく、もっと深い背景的意義を拝すべきと思うのです。

の内容は「近現代における戒壇問題の経緯と真義」に日顕上人が同じような趣旨を書かれているのでそれは日顕上人も重々承知だと思います
そうではなくて
ここで日顕上人が言われたいことは、昔は勅宣・御教書の解釈を創価学会から勧誘されて間違ったことを書かされてしまったけど
現代は勅宣・御教書の解釈は現代的な拝し方をしないとダメだよ
同じ間違いをしてはダメだよという内容の話だと思います

御遺命の戒壇は現代的な拝し方に合わせるべきではないでしょうか?、とは言いましたが
御遺命の戒壇の現代的意義の話とは言っておりません

①御遺命の戒壇=本門寺本堂
②大石寺=御影堂
➂御影堂=御遺命の戒壇
というのは説明をするために分けただけです。
御影堂=御遺命の戒壇というのは
御影堂が本門戒壇本堂という名称がついてることで既に明らかですよ。

既に明らかですよと言われても
一般の人達が読んだら、御影堂が御遺命の戒壇の意味になるまで3ステップが必要な時点で私を含め、一般的に信憑性がないと判断されると思いますよ

日蓮大聖人の御遺命に関わることなのに
七百数十年の日蓮正宗の歴史の中で一人でも
(御影堂が御遺命の戒壇です!)とズバリ言い切っている方はいないのですか?

 

そもそも御遺命の戒壇に今も昔もありません。今も昔も同じ本門戒壇は本門戒壇であり
本門戒壇とは御遺命の戒壇という意味です。
日蓮大聖人は「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂」その日蓮大聖人の言われた地が現在の大石寺であり その大石寺の本堂は御影堂ですから
御影堂が本門戒壇でなければ
筋が通りません。
日顕上人は
三大秘法義に
「広布の暁に本門戒壇の大御本尊まします本堂がすなわち事の戒壇の意である」と言われてます。
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」(64p)
戒壇という意味は、その前やあとに付く言葉によって色々に解釈できるわけです
「本当の御遺命の戒壇」「最終の本門戒壇」と言う場合とは意味が違うでしょ。
————-中略———–
「本門の戒壇」と言っても、それが直ちに『三大秘法抄』『一御弘法抄』に示される御遺命の最終戒壇だということではない意味もあります

鬱将軍様は
今も昔も同じ本門戒壇は本門戒壇であり
本門戒壇とは御遺命の戒壇という意味です。
と断言されておりますが
日顕上人は本門の戒壇は前後に付く言葉で意味が変わると言われてるので
本門戒壇は本門戒壇ですと言われても意味が通じません

もう一度、鬱将軍様の主張を確認させて下さい
御影堂が『三大秘法抄』『一御弘法抄』に示される御遺命の最終戒壇ということで宜しいですね

次に日寛上人は御遺命の戒壇について言われている御文はありません。
ですから日寛上人の御指南を出してないと思います。
ですから法華講員で意見が違うことは無い。意見が違うように見えてるだけだと思います。

旭川さんは御遺命の戒壇の建築条件が存在するのではないか?と言っていますが、日寛上人におかれてさえ、御遺命の戒壇についての具体的な御指南はされていないのです。

ありの金吾様は「日寛上人は」ではなく
日寛上人におかれてさえ
と言われてますよ
日寛上人以外の方達も遺命の戒壇についての具体的な御指南はされていない
という意味ですよ

僕からひとつ旭川様に伺いたいのは
本門戒壇本堂とある堂宇を無視して 別に堂宇を建てる論拠です。
是非ご回答頂けたら幸いです。

つまり鬱将軍様が言われたいのは
御遺命の戒壇が昔からある御影堂でないのなら、御影堂ではない堂宇を建てるとの証拠を出しなさい
ということですよね

「近現代における戒壇問題の経緯と真義」(106p)
要するに、御遺命の戒壇は『一期弘法抄』の「本門寺の戒壇」ということであります。だから未来の戒壇については「御遺命の戒壇である」ということでよいと思うのです。

日顕上人は御遺命の戒壇は未来の戒壇と言われてます
昔からある御影堂を指していないですよね

念の為Twitterでもご連絡しますが、届いていないようなら教えて下さい

2022年7月7日
旭川

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