国立戒壇に関する調査報告書 旭川様への御返事その⑦ | 諸宗 破折 (ameblo.jp)
読ませて頂きました。
最初に質問に回答をします。 その後は
読んでいて おかしいと思ったところに
コメントをいれます。
その際の旭川様の文は青色にしました。ご了承ください。
御影堂に本門戒壇本堂とある以上
最終の戒壇と見るのが正確です。
これが覆るのは今の御法主上人が本門戒壇本堂ではないと仰られた時だけです。
しかし、御影堂を本門戒壇本堂ではないと言われた御法主上人はだれもいません。誰もいないのですから本門戒壇本堂は今も昔の変わらず御影堂です。
また日顕上人は
百六箇種脱対見拝述記に
「本尊マシマス処即チ戒壇ナル故二、小乗・権・迹なノ建立ノ如ク、別個ノ築壇建造物ノ造立スル二非ズ、根源ノ本門戒壇ノ本尊マシマス本堂、即チ戒壇タリ」とあるように
本堂とは別に戒壇堂を建立するということはありません。
そもそも御影堂は県指定有形文化財となっております。 つまり壊すことはできませんし新しく建て直すことも出来ませんからこのまま使い続けます。
もし広宣流布の暁にまた何かを建てるのであれば
本堂2つもあるおかしい状況になりますし
本堂以外に建てないとある
日顕上人の御指南にも背くことになります。
また旭川様は
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」のなかで
御遺命の戒壇は国民の総意で造るものと判断されています
と言っていますが そんなことはまったく判断されていません。そもそもこの文は
「国主が国民であるならば」という事が前提です。
ですが広宣流布の暁の時は国主が国民だなんて
誰が言ったんですか?
経文や御書にありますか?ないですよね。あると言うなら論拠を示してください。
次に旭川様は
「法華講員の方で、文証が無くても、その時の猊下が言われていることを信じることが日蓮正宗の信心と説明される方がおりますが
その考え方ではダメなのですか?」
日顕上人の文章を読めば、そのまま理解できるではないですか
なぜ、回答にならないのですか?」
と言われていますが
僕が質問をしているのは
①御影堂以外に戒壇を建てる論拠と
②日興上人以外が建立して本門戒壇となる論拠
です。 どんな文章も何も回答になっているかどうかという話です。
別に回答ができないなら 回答できませんとか分かりませんでいいんです。
日顕上人の御指南は御指南として受けてます。
しかしそれは僕の質問の回答にはならないと言うだけです。
最後の旭川様からの質問で
「法華講員のありの金吾様は、今、御遺命の戒壇は具体的な形で言う必要がないとの結論を示しております
それだと、鬱将軍様の御影堂=御遺命の戒壇は具体的なので
ありの金吾様と意見が食い違っていると思いますがどうでしょうか?」
言う必要がないと言うのと 有る程度の具体性のある発言等だけだと思いますよ。
私は旭川様とのやりとりをする上で日蓮正宗の宗史から見える回答をしています。日蓮正宗の歴史から見なければ本門戒壇は見えてきません。これは至極当然のことです。
旭川様は「それとも何百年も前の猊下の文章をわざわざ探さないとダメなのですか?
逆に正しく拝することが出来なくなるのではと思います
我々が御遺命の戒壇がなにか?を知りたいときは
過去の猊下の文章を引っ張りだして検証しないとダメなのですか?
そして、何百年も前の猊下の御遺命の戒壇の指導らしい文章を見つけたとして、どうやって自分が出した答えが正解か不正解が判断できるのですか?
昔の猊下の文章を持っていない人はどうすればいいのですか?
なんで我々がそのようなこととやらないといけないのですか?」
と言われていますが 何を言ってるんですか? 先にも書きましたが
日蓮正宗は日蓮大聖人の仏様として信仰する仏教宗派です。今法主教ではない。 であるならば日蓮正宗が過去本門戒壇について考えどのように実行してきたのかを知る必要があります。それをせずに本門戒壇の調査ができるのですか? したくないのなら徒に本門戒壇について論じるべきではないと思います。
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