広宣流布後の戒壇堂建立について: 元顕正会員の独りごと (seesaa.net)
元顕正会員の独りごと 様
突然のメール失礼いたします。
日蓮大聖人の御遺命に関する調査を行っている旭川と申します
私は日蓮大聖人の御遺命に関する部分が専門なので
その部分の、元顕正会員の独りごと様のブログの記事全て読まさせて頂きました
私のブログでは「本当の御遺命の戒壇とは何か?」との調査を進めております
そして、上記の内容はまた顕正会員及び一般の方が知りたがっている情報でもあります
(もしかしたら末端の法華講員の方達も知りたがっている情報かも知れません)
元顕正会員の独りごと様のブロブを拝見いたしまして
元顕正会員の独りごと様の、読者の方の非常に貴重な意見が掲載されていることに注目しております
TOCHIRO さんありがとうございます。
めっちゃ期待してます。最近思うのがネットでは国立戒壇に関しては、かなり顕正会員さんにも理解できる状況になって来てると思います。
顕正会を否定するのではなく正義を示すのが一番効果があると思うのです。
それに仰るように色々な切り口が必要ですね。
そい言う意味ではこちらは非常に大事な場所だと感じています。
これからも楽しみにしています。
上記の元顕正会員の独りごと様の読者の方のコメントには
顕正会を否定するのではなく正義を示すのが一番効果があると思うのです。
と指摘されております
これは本当に理に叶った指摘だと思います
私のブログは一般の方向けに発信しているので
一般の方からの意見が多く寄せられてきますが
まさに上記の通り
「近年ではネットが普及したことにより、宗門が顕正会の国立戒壇は間違っているとの情報を発信しているのは、一般の人達も認識しだしております
その中で、宗門は顕正会の国立戒壇論を否定しているばかりではなく
正解の御遺命の戒壇を顕正会及び一般の方達に向けて教えるべきではないかと
そのほうが早く合理的に理解できると思うのだが
なぜそれをやらないのか?」
と私のグログにも疑問の声が多く寄せられております
そこでご質問なのですが
元顕正会員の独りごと様のブログの記事内で
その中で「御遺命の戒壇建立とは、戒壇堂そのものを建築することを意味しているのではない。」との主張をされる方もいらっしゃいます。その意とされるところは私も重々理解し、その主張もまた尊重するところではありますが、私個人としてはごくごくオーソドックスに
として、その根拠となる文証として
下記の三大秘法義の御指南を引用されております
そこにおいて、事の戒壇を大聖人の大慈悲の実際的、具体的顕現たる広布の事相に約すれば、御一期において『三大秘法抄』のほかには全く秘して説かれなかったところの「王仏冥合」の御文である。ここに、王仏冥合の条件の上に本門戒壇の建立を示されたのが、まさしく御仏意であり、御遺命の一大事が存するのである。
すなわち、本門乃本尊、妙法蓮華経の広宣流布が時至って、正道・正理の上に条件が具備した時、戒壇を建立するところに、本仏の志し給う「事の戒法」が成就するのである。
(三大秘法義 566~567ページ)
上記の中の御遺命の戒壇が出来る条件として書かれている
正道・正理の上に条件が具備した時
と書かれておりますが、では
正道・正理の上に条件が具備した時
とは具体的にどのようなことでしょうか?
是非、回答をして頂けると助かります
私の連絡先を添付致しますので
(下記ブロブ内に連絡先があります)
元顕正会員の独りごと様のブログは2018年が最後の投稿?ではないかと思うので現在はブログの運営はしていないかと思いますが
もし、ご自分のブログの問い合わせ欄を見る機会があれば
回答を考えて頂ければ幸いです
お忙しいところ恐縮ですが
宜しくお願い致します
↓私のブログです
国立戒壇に関する調査報告書 | 全国民に対して調査内容を報告しています (asahikawa1990.com)
2022年9月17日
旭川
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