鬱将軍様へのお伺いへの回答⑤ | 諸宗 破折 (ameblo.jp)
鬱将軍様より下記の御返事がありました
旭川さんのほうでも研鑽をされているようでとても嬉しく思っております。
この下記のものを読んだうえでの事だと思われます。
これは読んだことがあるので、なんの違和感もないです。
この最後で言われる
『現在の御影堂は、唯授一人の血脈相承をお受けになったお立場より、『日興跡条々事』の条文を堅く護られんとされた日精上人の御意志と、その御化導を助けるべく、赤誠の御供養をもって外護された敬台院との僧俗一致・異体同心のお姿の象徴ともいうべき堂宇なのです。』
というのは 本堂となる堂宇であるからでは無いですか?
日興跡条々事には『大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。』(平成新編御書頁1883)とあります。また
以前に文献を上げましたが、大石記にある
「本門寺の朽木書きとして御堂をば大石に立て申し身延澤にて立て申したり御仏をも入れ申す」(富士宗学要集五巻頁149)」
という日興上人の言葉をとれば
広宣流布の暁には 大石寺が本門寺となりその時は御影堂が本堂になる。そのように出来ているんですよ。
将来本門戒壇となるようにお手本として日興上人が建てて 未来のために修理して遺すように伝えたのです
この文面を読んで御影堂を本門戒壇と思わないのなら
それは固定観念に囚われているからだと言えます。
他の宗教の固定観念を捨てて日蓮正宗の思想から本門戒壇を見ないとわかるものも分かりません。
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