国立戒壇に関する調査報告書 旭川さんへのご返事② | 諸宗 破折 (ameblo.jp)
読ませていただきました。
①は 日顕上人の当該の御指南と同じだとも言えます。
三大秘法義も日顕上人の講義なので、同じなのは当然だと思います。
次に思った事
「宗門が従来からの御遺命の戒壇建立の定義の
御遺命の戒壇は広宣流布後に建てること
勅宣・御教書の現代的な拝し方をすることを
変更してしまった」という点ですがこれは
従来から本門戒壇と称している堂宇は広宣流布以前にも建立しているから 御遺命の達成のゴールにはならない
ゴールというのはその堂に本門戒壇之大御本尊を安置し扉を開くことであります。
未来のことは御相伝にすらない事なので堂宇を建てるのか
今本門戒壇と称してる堂宇に本門戒壇之大御本尊を安置するかは
わかりません。
今本門戒壇と称してる堂宇に本門戒壇之大御本尊を安置するかは
わかりません。
2に関してですが、 三大秘法義に書いてあることです。
本門戒壇を建立せよと言われたのは法華講員でもなく
天皇陛下でもなく、日興上人であります。
日興上人の権能は代々の御法主上人の権能であります。
現在の大石寺にある本門戒壇本堂も願主は日精上人となってるもの証拠の1つです。
本門戒壇を建立せよと言われたのは法華講員でもなく
天皇陛下でもなく、日興上人であります。
日興上人の権能は代々の御法主上人の権能であります。
現在の大石寺にある本門戒壇本堂も願主は日精上人となってるもの証拠の1つです。
この本門戒壇本堂とは 大石寺の御影堂のことです。
御影堂棟札には『本門戒旦本堂 願主日精
寛永九年壬申 霜月十五日』
とあり 大施主として 松平阿波守忠鎮公 御母儀鏡台院日詔信女が挙げられています。(鏡台院殿の生涯と信仰 頁22)
この御影堂は日興上人が創建され、日精上人が再建なされ
その後日応上人や日顕上人、そして日如上人が修繕、大改修をして今の姿となっています。
一期弘法付嘱書には 日興上人が戒壇を建立するように御遺命があり、 百六箇抄には『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり』と相伝があり、
大石寺を建立しその本堂として御堂を創建されました
また日興跡条々事には『大石寺は御堂といい墓所といい日目之を管領し修理を加え勤行をいたして広宣流布を待つべきなり』と日目上人に相伝なされたことからも 御堂を広宣流布の日の本門戒壇本堂としていたことは明らかだと言えます。日精上人は『御堂とは板御本尊有る故なり』(家中抄 中 富士宗学要集五巻頁188)とあることから 本門戒壇之大御本尊が安置されていたとされています。
長くなってしまいましたが 日蓮大聖人が相伝し、日興上人が創建し、古来は本門戒壇之大御本尊を安置いた。
多くの御法主上人が修理を加えた御堂である御影堂が御遺命の戒壇ではないでしょうか?
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