旭川とか言う如何にも顕正会員らしき人物からDMが来た | Michaelshacksonのブログ (ameblo.jp)
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まず、最初の質問ですが、
「分かりやすくいうと顕正会の隊長5人は法華講員の樋田昌志氏に反論できなくて顕正会を脱会することになった」
と思ってるようですが、その解釈には語弊がありますね。
そもそも、彼等は樋田さんとの質問会にて、彼等が素朴に思った疑問をぶつけ、樋田さんがそれに応えてるだけです。そして、樋田さんの説明を聞いて納得し、顕正会が邪教であることに気づいた上で自らの意思で顕正会脱会・日蓮正宗入信したんです。
彼等は顕正会内部で相当虐げられた環境に居たんでしょうよ。
それと、貴殿は元 創価学会の一般人と表記されておられますが、貴方自身が顕正会員でしょう?
もしそうじゃない一般人なら、「国立戒壇」とか「御遺名」とか「御遺名の戒壇」言う言葉すら思いつかないし、顕正会の内部に居る人間しか分からないもの。それと、
このブログの記事にある、
「顕正会の大きな会合とか後は、日曜日の朝の集会とか普通は顕正会が集まる時間帯でも私は、いつでも電話に出れます。電話でなくても平日の日中仕事している時間以外の時間帯なら言って貰えれば、メールのやり取りをずっと出来ます」
なんで顕正会員の普段の行動まで細かく知ってるんだよ?
普通の常識ある一般人はそんな行動知らない。知ってるとすれば、現役の顕正会員か、元顕正会員の一般人か元 顕正会の日蓮正宗法華講員しか把握してない。
違うか?御仁。
それと貴殿の上記の2つの疑題に対してだが、
・1つ目は既に答え出てますよ。
御仁が書いた
『「事の戒壇はやはり広布の暁に建つべき」との内容は顕正会・日蓮正宗共に意義を唱える方はいないと思います。』
何故、そう言い切れる?
続けて御仁はこう続けます。
しかし、宗門が正本堂の意義付けをする際に御遺命の戒壇は広布完成前に建ててしまってもよいと
決めてしまったことを含め、顕正会は御遺命違背と主張しているのではないでしょうか?
妙信講(顕正会)はその正本堂においてさえ御開扉を願い出ています。
▼「御遷座の翌年五月、妙信講は久々の御登山を総本山に願い出た。」
(『日蓮大聖人の仏法 改訂版』 255ページ)
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戒壇の大御本尊が正本堂に御遷座された翌年の昭和48年に、妙信講が正本堂にて御開扉を願い出たことを証明するもの。
すると、浅井氏は 「ニセ戒壇」 である正本堂での御開扉を願い出たことになります。
この矛盾をどう説明するのでしょうか?
↑
先にも記述したが、ここで『御遺命の真義(本当の意義)』 を唯授一人の相伝で受け継いでいる方は誰なのか?
御遺命の真義を御存知なのは御歴代御法主上人のみではないでしょうか?
2つ目の
『「広宣流布の暁」というのは一体いつを指しているのでしょうか?そこが問題ではないでしょうか?』
と言う疑題だが、広布の暁と言うのは、この世が末法である間はまだまだ折伏しなきゃいけない。それと、広宣流布といっても、
「流溢(るいつ)の広宣流布」と
「流行(るぎょう)の広宣流布」
の二儀があることをよく覚えてください。
樋田さんの対する質問文にて既に答えが出ているし、上記の当方のブログでも動画が添付されてる。先の隊長5人との質問会の様子を動画集にしてまとめたんですから先ずはその動画を見てからにしてください。
http://toyoda.tv/kensyokanbu.gimon.htm#%E3%81%98
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