「妙信講(顕正会)の処分について」(その2)

『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』のなかにおいて

「王法」の解釈と、正本堂の建物についてのことでは書き過ぎがあったという

感じもしておるのですけれども

しかし、当時の流れのなかでは

あのように書いたことはやむえなかったと思っているのであります

本書では「王法」の解釈

について詳しく書いてありますので下記に記載しておきます

『三大秘法抄』には

「王法仏法に冥じ・・・・」と王法と仏法の関係がはっきり述べられている

要するに

王法というのは国主とおっしゃっている(19p・20p)

「国主」というのは結局、天皇になる(25p)

天皇が定めているところの法乃至、裁断という意味を含めて王法ということ

あるいは国主ということをおっしゃっておると思うのであります
(20P)

「国主」ということの考えかた国主というのは現在では確かに民衆なのです
(98p)

国主は国民(107p)

要するに青い部分のことをまとめる

「王法」=「国主」=「天皇」=「民衆」=「国民」ということです

正本堂の建物についてのことでは書き過ぎがあったという感じもしておるのですけれども

当時の2冊の本は

正本堂の建物についてメインに書かれているので

要するに、全て書き過ぎということですね

コメント